今週末、おそらく月曜になると思うが、学生時代の友人に会う。
それで、学生時代のことを思い出してたんだけれど、あの頃は陰鬱な時代だった。私だけでなく、私の生きているこの世界が陰鬱で、ネガティブな空気を孕んでいた。
同時多発テロを皮切りに、アメリカをはじめとして、先進国のほとんどの国が戦争に加担した。平和憲法だかなんだか知らないが、そう言うものが日本にはあって、それを憲法第9条というのだったけ、そんなものをこしらえてる日本まで、戦争のお手伝いをしにわざわざ遠い外国まで船を出したり物資を運んだり。
遠い外国の戦争しているところまで実際に行かなければならなかった自衛隊の方々にとっても大変な時代だった。
ああ、ブログで政治を持ち出してはいけないな。もしかしたらこのブログを色々な考えの方に見てもらえるかもしれないし。
それでも、陰鬱な最低の時代だった。僕が住んでいて、大学もあった国立という都の西に位置する小さな町にも、スタバだとか、ツルハドラッグだとかのチェーン店が参入してきて、大好きだった商店街は、どの町にでもあるようなお店が並ぶつまらない商店街になったし、いつも使っていた酒屋のお母さんは亡くなってしまった。
その頃、僕が何してたかと思い出してみると、人並みに恋愛とか、友達付き合いとかもやっていたような気がするが、だいたい毎日朝6時頃に床に入って、夕方4時頃、早くても2時頃に目覚めていた。
2時に目覚めて、とりあえずトライXの30枚取りを5本ポケットにねじ込んでライカを首から下げて、町に写真を撮りに行っていた。早く起きれた日には、だいたいコンスタントに5本は撮っていたから、ひと月に100本ぐらいは撮っていた。フィルム代も毎月2万円強かかっていたし、ベタ焼をとるために毎月100枚入りの六つ切りのアグファを買っていた。
あの頃はいつもアグファだったな。なんせ100枚入って3000円しない印画紙なんてアグファしかなかった。今では残念なことになくなってしまったな。ひどい時代だよ。
そして夜に、フィルムを現像して明け方まで暗室作業をやっていた。朝ご飯、昼ご飯は食べなかった。それで、アルバイトなんかもしてなかったから、親のすねをかじってろくでもないことをしていた。
沢山写真は撮ったけど、沢山撮れば撮る程つまらない写真の割合が増える。写真て、沢山とってもいい写真が撮れるようになるわけじゃないんだよな。ただつまんない写真が増えるだけ。
それでも、撮ってるときは気分がいいから、撮り続けるのです、つまんない写真を。
そのつまんなさがいやんなって、大学卒業したらサラリーマンになろうと思って、6年かかってやっと大学を卒業してサラリーマンになった。
それからがまた地獄の時代の始まりだよ。暗い、陰鬱な時代の。
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