お茶の水は陰気な街だ。
特に夕方のお茶の水は薄暗くて、人通りもまばらになってきてその陰気さを増す。
私はギターを集めるのが趣味で、今も手元に10台以上のギターがあるのだけれども、そのほとんどをこの街お茶の水で買った。かつてはお茶の水へ行くと必ず一台や二台、運が悪いと五台以上欲しいギターを見つけることができた。
そもそも、私はあんまり高価でない、装飾が少なく、ちょっとざらついた音のするアーチドトップのジャズギターが好きで、グレッチをはじめとして何台か持っているのだけれど、お茶の水へ行けばそんなギターがごろごろとある。
そんな街、お茶の水へ今日は行ってきた。
土日のお茶の水は、楽器を見に来る若者や、おっさん達でごった返している。
ごった返しているとは言っても、歩道から溢れるくらい人がいるわけではない。人混みとよべる程ではないが、少しは活気づいている。そんなお茶の水の街を、妻と二人で歩きながら、時々立ち止って写真を撮ったり、ギター屋をのぞいたりして土曜日の午後を過ごす。
こんな休日の過ごし方が、なんと陰気なことか。
欲しいようで、別に欲しくないギターやCDを片っ端から見て、結局この世の中に存在する、自分の手が届くようなギターのほとんどは、つまらないギターで楽器業界というのはもう夢を失ってしまったことを再確認し、中古レコード屋に並ぶCDのほとんどは、今更聴く程ではないCDであることを再確認し、日が暮れていく。
そう、お茶の水の街は再確認の街なのだ。この世のくだらなさと、ギター業界のつまらなさ、音楽業界の過去の遺産のつまらなさ、資本主義社会の退屈さ、それらを一通り、ゆっくりじっくり時間をかけて、再確認する。
結局、今日はJazzのCDを2枚買ったが、私の気持ちは晴れなかった。
そんな時間に妻まで付き合わせてしまった。
私の貴重な土曜日は、このようにして暮れていった。
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