キャパの戦争への愛憎と、キャパが好きだった私へ

今日は会社を休んでしまった。体調が悪かったのだが、一日休んでみて、行っていけないことはなかったのにと思いながら、複雑な気持ちで一日を過ごした。明日は、ちゃんと会社へ行こう。

 

ロバート・キャパ(Robert Capa、本名:アンドレ・フリードマン)について、今の私に何が書けるのか、を考えてみて、結局何も書けずに終わるのではないかという一抹の不安がある。以前の私だったらもっともっと素直にキャパの写真に魅力を感じたし、その面白さについて語ることは何でもなかったろう。けれども、自分でもいっぱい写真を撮って、沢山の優れた写真家の写真を見た後、写真の文脈で、冷静に、客観的に、素直に、キャパの写真を語ることはむつかしい。むつかしくて、どこから語り始めれば良いのかさえわからずに、途方に暮れている。

 

まず、『ちょっとピンぼけ』から話そうか。

今、私の手元にこの本はなく、読んだのももう10年程前のことで、それからほとんど読み返すことがなかったから、この本についても、きちんとは語ることができないのだけれど。

 

この本を読んだ19の頃の私は、戦争写真家というエレガントな商売にしびれてしまった。いつか、私も大人になったら戦争写真家として内戦の行われている地域に行ってみたい、と漠然と思った。戦争写真家は、戦争中毒で、その為に一人の女性すらきちんと愛せないというハンフリーボガードのようなダンディズムにも憧れた。

 

その頃、どれだけキャパに憧れていたか自分でもよくおぼえてはいないのだけど、大学に入って初めて好きになった女の子にピンキーというニックネームを付けた程だから、よっぽど憧れていたのでしょう(ピンキーはこの本の中のキャパの恋人)。

 

それで、この本を読んだ後に、キャパの写真を見るんだけれども、札幌のデパートの催事場で見たモノクロの戦争の写真の迫力に、またしびれてしまった。

 

キャパの写真は常にキャプションとともにあって、どちらかというと写真そのものが面白い、と言うものよりも戦争記事のすぐれた挿絵としての機能が強いのだけれど。キャパの写真の持つ嘘くさいまでのドラマティックさと、とにかく戦争が起こっている「最前線」の様子をとらえている迫力はそれまで、自分の父親が撮ったスナップ写真くらいしかまともに見たことのなかった私には十分ショッキングだった。

 

キャパの写真を恐れ多くも「挿絵」と表現してしまったが、もし彼の写真がたんなる挿絵であったら、スペイン内戦やノルマンディー上陸作戦についてほとんど何も知らなかった私の胸を打つことはなかっただろう。一時期のキャパの写真は確かに、「イデオロギーの押売り」だったことは否めない。それは、戦争反対とかそういう単純なものでなく、戦争という舞台の中で露になる、人間の、汚くて、恥ずかしくて、けれども愛すべき一面を見せることにより、人間が生きることとは何かを問う写真と言うべき写真を撮っていた時期もあるという意味でだ。

 

その、戦争という劇場を、平和な自宅のカウチやベッドで味わうことができるという意味では、その時期のキャパの写真や『ちょっとピンぼけ』は優れたストーリーテラーだと思う。けれども、それはキャパの写真に対しては、バイアスのかかった意地悪な「読み方」かもしれない。

 

確かに、戦争写真家であるキャパは戦争を「語る」ことに命をかけていたかもしれないが、彼の写真の魅力がそれだけだとは思えない。確かに、私がいつも紹介している写真家の写真のような、「写真作品」の文脈の中で語れる写真の魅力という側面では弱いかもしれない。しかしながら、私たち写真を撮り他人に見せたいと考えているものたちにとって、キャパの写真へのスタンスは無視出来ない。それは、「見たいものがクリアに、よく見えるように、撮る」ということだ。

 

キャパの写真は、写真に写されている対象が何かはっきりとわかり、それがはっきりと見える。たとえそれを撮影する写真家が身の危険にさらされるとしても、一番よく見えるとこから撮影する、ということの重要性を感じさせる。それは、写真を撮るものにとって、無視出来ないスタンスだ。

 

ここまで書いて、私はキャパの写真の魅力の本質に全然ふれられていないことに愕然としている。

良いではないか、もっと素直に「ヒューマニズムだ」とか、「愛だ」という言葉で彼の写真を表現しても。かれの写真から一番強く感じるのは「ヒューマニズム」や「愛」じゃないと、はっきり否定できるだろうか?

 

それで、今日の本題、キャパが好きだった私についてです。

 

昨年の暮れに、約5年ぶりぐらいに私はピンキーに会いました。友人の結婚式でです。

彼女を好きになったあの頃から、もう10年以上の月日が経っているけれども、今でもやっぱり彼女はきれいで、とびきり可愛くて、そしてどうしても手が届かないところにいて、やっぱり何にも変っていませんでした。私は、心の中で、キャパに憧れていたその頃を思い出し、ライカを首から下げている自分になんとなく恥ずかしさを感じながら、遠くから彼女のしぐさを眺めてました。

 

ああ、やっぱり戦争写真家になればよかったのかな。

 

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コメント: 1
  • #1

    勃起不全 (火曜日, 05 5月 2015 06:11)

    「ほら、顔、こっち向けて見せて?」