毎日、自分の体調のことばかりブログに書いて、これじゃまるでおじいちゃんみたいだけれど、最近薬が変ったせいか自分の心が弛緩しているような気がします。
夜のんでいたレメロンってやつを2錠から1錠にして、朝にサインバルタっていう、なんだか変身戦隊ものの名前みたいな薬を1錠飲み始めたのですが、なんだか喜怒哀楽がおさえられているような気もしないわけじゃなく、これは今飲んでる他の薬のせいかもしれないし、気のせいなのかもしれない。感受性なんていったら大袈裟だけれども、昨日書いたように、外からの刺激に心のひだが振るえなくなっている気もする一方で、心の中では勝手に落ち込んだり、元気に戻ったり、困ったもんです。
そのせいもあって、昨日一昨日とまとまったことが書けなくて、今日もどうなるかわからないけれど、愛について。
なんだか青臭い話で恐縮なのですが、お時間許せばお付き合いください。
昨日、一昨日と学生時代好きになった女の子のことに触れて、彼女との恋に敗れたことを思い出しても、何も感じなくなってしまったことに気づいて。結局失恋もつらいけど、時間が経って失恋を乗り越えられてしまうことは、それはそれなりにつらいかなと感じました。
それで、好きになるのってわりと簡単にできて、それもまた困ってしまうんだけれど、じゃあ、一体好きになったらどうすればいいのでしょうか?
妻とか、家族とかは、好きだし、愛することできますが、世の中好きになったからって愛することができない場合もある。いや、愛するのは勝手にできるかもしれないけれど、愛って相手がそれを受け止めないと成立しないでしょう?それで、結局片思いのまま終わってしまうのかもしれないけれど、それってなんだか歯痒くないですか。アイドルの追っかけやってるわけじゃないんだから。こっちは、いつでも肉弾戦できるくらい好きなんだから。「じゃあ、何できるんだ?」って思うんだけれど、もし何ができるか知っている方がこのブログ読んでくれたらコメントください。大したお礼はできないかもしれないけれど。
それで、荒木経惟さんの『KaoRi Sex Diary』。私活字あんまり得意じゃないから、私の家の本棚には写真集と図録ばっかりなんだけれど、その中で一番私の「愛」っていう勝手なイメージに近いものって荒木経惟さんのこの写真なのです。私の手元にあるのは2008年の『Photo GRAPHICA』の特集記事だから、これらの写真を写真集としては売ってないのかもしれないけれど、これがとっても素敵なのです。
まずKaoriさんがとってもカワイイ。私これだけでご飯10杯はいけます!!それで、写真が、Kaoriさん「の」写真じゃなくて、Kaoriさん「と」の写真になっている(ってこの本の中で荒木さんもおっしゃってるんだけれど)。二人が、愛し合っていて、幸せなんだなって思えるのです。
もしかしたら、これはフィクションなのかもしれない。けれども、愛し合ってるって写真にフィクションなのかノンフィクションなのかって無粋なこと言わなくたっていいじゃない。僕は、フィクションでも愛し合えたら幸せだろうなって思う女の子居ますよ、あなたもそうじゃないですか?
荒木経惟さんといえば、陽子さんの写真が有名で、やっぱり「愛」が写っている写真だと私は思うんですが、陽子さんは奥さんってこともあるかもしれないけれど、なかなか私はすんなり受け止めれないんです。やっぱり夫婦って色々あるのですかね?いっつも新婚旅行じゃないでしょう?
それに比べて、Kaoriさんの写真は愛という意味では狭義の愛かもしれないけれど、すんなり受け止められる。私だって、好きな女の子と一緒にいられて、愛し合っていたらきっとこういう風に感じるから。(それをこういう風に写真に撮れるかどうかは別ですけど)
それで、今日の本題、
「今まで愛し方がわからなかった、結局愛せなかった方々へ、何か自分にできることはないのだろうか?」
キンパチ先生の何話目か忘れたけれど、片思いのまま失恋した少年が
「俺、彼女が死んだときお経あげます」
って言ってたけど、それくらいしかないのかね?
私、どんだけ長生き出来るかわからないのでお経あげれるかどうかわからないんだけど。
コメントをお書きください
Albina Brin (日曜日, 22 1月 2017 17:31)
Great post but I was wanting to know if you could write a litte more on this subject? I'd be very grateful if you could elaborate a little bit more. Thank you!