私は最近体調を崩しがちだったけれども、まあまあ元気にやっている方だし、自分なりに合格点の範疇だと思っている。
今日、私の伯母が亡くなってしまった。私が小さな頃からかわいがってもらい、夏休みには毎年のように泊まりに行っていたので、寂しくなった。伯母は癌を患っていたけれども、つい先日まで結構元気にしていたらしい。今年私のもとに届いた年賀状にも、身体に気をつけてって書かれていたので、自分が病を患いながらも人をいたわる気持ちを持ち続けてくれることが嬉しかった。伯母に比べたら私の患っている病はフェイタルなものではないし、もっとしゃきっとしなくてはならないと思った。
それで、今日、何について書こうか迷っていたのですが、最近自分の中のテーマである「愛すること、傷つくこと」。
実を言うと、私は、今日紹介するエルスケン(Ed van der Elsken)の「セーヌ左岸の恋」はそれほど好きな写真集ではない。世間一般に言われている程名作でもない、と思っている。
誤解を招くと嫌なんで、一応書いておくけど、私はエルスケンの写真が大好きだ。最も好きな写真家の一人に挙げてもいいと思う。彼の人懐っこい視線が好きだし、被写体が彼に写真を撮られることを嬉しく楽しく思っていることが伝わってくる写真が特に好きだ。こんな風に写真が撮れるのは他に荒木経惟ぐらいかもしれない。いや、そんなことないか。世の中のお父さんお母さんが子供を撮る視線はこんな感じだ。
けれども、「セーヌ左岸の恋」はイマイチそういうエルスケンのよさが見えて来ない。写真も変に肩肘を張っていて、見ていて疲れるし、何よりも安手なメロドラマ仕立てなのが気になってしまい、写真を楽しめない。
ネガティブな評価を書き連ねてしまったが、この写真集を今日紹介したいのは、この写真集の登場人物「アン」に恋する「おれ」のスタンスがとても素直で素敵だからだ。「アン」が好きで写真に写したいと思う気持ちは、カメラを持ったらまず好きな人を撮りたくなる素直さそのものである。僕も学生の頃好きだった女の子達の写真を撮ったりしたこと有ります。その素直な動機が良い。
エルスケンが「アン」を見つめる視線が「アンへの想い」を写そうとしながら、写真がそれを拒み続けているのも面白い。「アンへの想い」は写真には写らない。いや、写っているかもしれないけれども、写真に写ってるのはただの「アン」になってしまっている。エルスケンのその後の作品にはこんな素直な写真、写真の本性って言うのが見えてくる写真は少ない。この写真集を作成した時のエルスケンはそんなに写真が上手くない。テクニックもあまりない。だからこそ赤裸々な写真の姿が見えてくる。
そういう意味で面白い。写真好きでもこの写真集の評価は別れると思う。もし、あなたがこの写真集を見る機会があったら、是非感想を聞かせて欲しい。きっと、写真でラブレターを構成することの難しさを感じさせられるから。
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