Rainy days and Mondays always get me down. 窓に映る冷たく透明な憂鬱。 追悼Gary Moore

月曜日は苦手だ。

誰でもそうなのかもしれないが、いつからか月曜日が憂鬱になった。高校の頃は、特にそういうこともなかったと記憶しているので、学生時代からか、社会人になってからか、よく覚えてはいないが、月曜日は気が重い。

 

学生時代なんかは、学校に行けば好きな女の子とかに会えるかもしれないし、友人にも会えるかもしれなかったので、そういう意味では、学校に行くのが楽しみだったこともあったかと記憶している。いや、これは記憶違いかもしれない。学校に何人も好きな女の子はいたことは事実だが、その子達に会うのが楽しみで学校に行ったことなんて殆ど無かった。そもそも大学が嫌いで、好きな女の子達よりも嫌いだったから、大学には全然行かなかった。行かなかったから、好きな女の子達に会えることも殆ど無く、結局は思い過ごしのような片想いばかりの青春時代だった。

 

あの頃、少しでも学校に行っていたら、今頃どうなってただろう。今の嫁さんと結婚はしていただろうが、留年する年も一年ぐらい短くなっていたかもしれない。あの頃好きになった女の子達とも、

まだ連絡が取れて、度々会えるような間柄になっていたかもしれない。彼女達から年賀状も届いていたかもしれない。ひょっとしたら、一度くらいこっそりキスくらいはできてたかもしれない。

 

けれども、あの頃は、学校に行くことより行かないことを毎日選んでいたんだ。あの頃は、行くか行かないかの選択ができる程心に余裕が無かった。毎日、起きたら昼過ぎの日々だった。学校に行ってたとしても、どうせ落ちこぼれだったし、女の子達に振り向いてもらえるような男でもなかったような気がする。

 

まあそんなことはどうでも良い。

 

社会人になってから此の方、仕事が面白かったことなど、殆ど無かったようなもんだから、少なくとも社会人になってからは月曜日が憂鬱だった。

 

そんなこともあり、今日は午前中仕事を休んでしまった。午後からは出社したのだが、なんだか仕事にみが入らない一日だった。

 

でもこれはしょうがないことなのだ、あのカーペンターズだってそう歌っている。

 

そんな憂鬱な日には、やっぱり元気いっぱいの暴力的なストリートスナップとか、ビビットな色の写真はちょっと勘弁して欲しい。こういう日にはこういう日向きの写真というのがあるのだ。私のお勧めは、チェコの写真家Josef Sudekの写真だ。その中でも、特に、彼のアトリエの窓を写した写真群が良い。

 

Sudekのこれらの写真には窓から見える「外」が映っているというより、窓に張りつめた水滴や霜のなかからボーッと浮かび上がる外の景色の影が写っている。とても内省的で、メランコリックな写真だ。だから憂鬱な日に見るのに適していると言うのは少し乱暴だ。これらの写真が憂鬱な月曜のおわりに向いているのは、写真に力強い「中心」がなく、視覚を強く刺激するものが殆ど無いからだ。スデクの写真では「窓から光が射す」というよりも「窓が外の光を反射」している。だから、窓を写しているのにも関わらず、そこから強い光が射し込んで来ることが無い。

 

今、私はSudekの窓の写真をパラパラとめくりながら、Gary Mooreの『Still Got the Blues』を聴いている。彼の泣きのギターは、暴力的になり過ぎずに、しっとりとしていて、Sudekの写真をこわすことが無い。音楽家というのはこのくらい抑えた表現ができなくては一流じゃない。

 

彼のギターはただ無闇に「泣く」のではなく、浪花節のように「語る」。かつて単なるヘビメタギタリストであった頃から、Gary Mooreのギターには、物語があった。ブルースギタリストとなってからも、それまでのヘビメタ時代のスタイルを捨てること無く、Gary MooreでありながらBluesを奏でることに挑戦し続けた。そして、今日まで彼は挑戦の途上であった。

 

惜しいギタリストを無くした。今後ヘビメタとブルースがどのように同居できるかを陰ながら楽しみにしていたのに。