2月の街に雪が降る。二十歳の頃夢中だったあれこれと、吉田拓郎

二十歳の頃は、自分の人生を生きることの大変さに手こずっていた。

今だって、身体をこわしてしまってから、いや、そのずっと前から、自分の人生がひどく生きづらくて困っている。

自分はどうして、自分に素直に生きられないのか。自分はどうして、地道に、まともに働けないのか。自分はどうして、子供の頃イメージしていた大人になった自分のイメージからこれほどかけ離れてしまったのか。自分はどうして、厄介な持病と付き合うことになってしまったのか。など、不満、不安に思っていることを挙げていけばきりがない。

 

それは、誰もが持っている不安や不満なのかもしれないが、私は日々それらに押しつぶされそうになって生きている。同年代の皆様は、自分のことだけでなく、家族や身の回りの人間関係のことまで考えて生きているらしい。それなのに

私は、自分を扱うことだけで手一杯だ。

 

それでも、二十歳の頃に比べたらだいぶましになった。あの頃は、妻と未だ結婚していなかったし、薬もなかったし、生活はめちゃくちゃだったし、働いてもいなかった。

 

今日、会社帰りに妻と二人で、先週末に迷惑をかけてしまった近所の警察の方々にお詫びをしてまわった。妻に頼んで、手土産を持って行ったのだが、律儀な警察の皆さんは、それを絶対に受け取ろうとしなかった。

 

それで、その帰り道、チェーン店の定食屋で夕飯を食べた後、雪の降る街を、妻と二人で歩いていたら、二十歳の頃好きだった吉田拓郎の歌を思い出した。雪の歌で吉田拓郎と言えば『外は白い雪の夜』が一番有名だが、私の思い出した歌はなぜか『冷たい雨が降っている』だった。

 

そして、その歌を心の中で口ずさんでみて、胸がいっぱいになってしまった。

 

あの頃のフラストレーションは、今も形を変えて私の心の中に残っている。

 

努力しても届かないことがある、ということ。いくら想っても届かない想いがある、ということ。自分の中に、自分を駄目にしていきたいという甘えたころがある、ということ。今は二十歳の頃よりも心が鈍感になってしまったから、それらに対する捉え方も少しずつ異なってはきている。それでも、それらのことが変ったわけではない。

 

吉田拓郎の歌を思い出すと、今よりもっともっと身の回りのことに敏感だった自分を思い出す。あの頃は、吉田拓郎のどんな歌を聴いても、それらの歌がまっすぐ私の胸に突き刺さった。すべてが「私についての」歌だった。歌が私の心を代弁してくれた。

 

吉田拓郎の歌を思い出すと、あの頃私の周りにいた方々へ愛おしさを感じる。みんなが、私の部屋に集まったあの頃、いつも私はステレオで吉田拓郎をかけてたっけ。あの頃は、人付き合いのイロハを未だよくわかっていなかったから、お互いによく傷つけ合ったり、おせっかいをしたりした。それでも、人にはとっても恵まれていた。今は連絡が取れなくなってしまった方々、今も付き合って頂いている方々、関係がこじれてしまった方々、そして私の妻、今、彼らを愛おしく想う。

 

そして、あの頃の挫折のうちのいくつかを乗り越えられる日が来ることを、今も信じて今日を生きていきたいと想う。