上野・浅草とブルースマン。中央線だけじゃない高田渡の世界。

昨日、上田正樹について書いたが、日本には他にも優れたブルースマンがいる。高田渡というブルースマンについて、この場を借りて書いてみたい。

 

高田渡をブルースマンと呼ぶのには違和感がある、という方もいらっしゃるだろう。高田渡はどちらかというとフォークミュージックの文脈で語られることが多いからだろう。確かに、彼はピート・シガーとかそういったフォークミュージックの方々の影響を受けている。しかし、彼のギタースタイルは、どちらかというと、ラグタイムやブルースの影響を受けている。楽曲も、ブルースやラグタイム、カントリーの影響を受けているものが多い。

 

音楽の話題ばかり続いて恐縮ですが、今日もお付き合い頂けると幸甚です。

高田渡の音楽は、さらりとしているが、泥臭さがある。カントリーやブルース音楽を都会的洗練で料理し直している、といえば良いのだろうか。淡々とした彼の歌のせいもあるのだろうが、ブルースの文脈で語られるべき音楽でありながら、クドさがなく、爽やかさすらある。

 

ギタースタイルは、ランブリン・ジャック・エリオットのようだと形容すると、とても解りづらいのだが、都会的センスでこれまたさらりとしながらまぎれもなくラグタイムやブルースの影響を強く受けたギタースタイルだ。しかも、ギターの腕前は凄まじい。おそらく、日本でも屈指のギタリストだろう。

 

歌のスタイルは誰の影響を受けているのだろうか。私は不勉強であまりその辺のことは解らないのだが、高田渡のスタイルは、デビュー当時から晩年まで殆ど変ることがない。それほど完成された一つのスタイルを持っているのだ。その歌が、個性的でありながらクドさがない。

 

そのさらりとした音楽は、中央線沿線のミュージシャンが持っているような都会的田舎臭さ、野暮ったさとは一線を画しており、彼が高円寺(だったよね?)を中心に生息していたということに違和感を感じる。

 

彼の音楽は、中央線沿線や、築地とか、神田とかそのへんの下町(なぎら健壱)ともちょっと違って、強いていうと、上野や浅草の香りがする。隅田川の河原に生息しているホームレスの方々のような、都会の洗練と、枯れた感じを持っている。

 

中央線沿線の方には申し訳ないが、高田渡には中央線的なところと、まったく中央線的でないところが混在している。

 

吉祥寺とか阿佐ヶ谷とかのバーで弾き語りをしている高田渡もたしかに絵になるし、凄くしっくり来る。しかしながら、彼の音楽の舞台はどこか中央線の沿線だけに限定されない、むしろ向島とか浅草とかが似合うようなところがある。それは、彼の音楽の歌詞が、様々な詩人の手による物であることの影響とかんがえられるが、それだけではないだろう。

 

高田渡の活動範囲は日本だけに留まらず、アメリカの本物のルーツミュージシャン達とレコーディングをしたりしているのだが、そういう国際的なところも高田渡にとても似合っている。

 

彼のご子息である、高田蓮も高田渡と共通した洗練を感じる。そして、彼もまた日本屈指のギタリストである。

 

高田渡さんの音楽を聴いたことある方、聴いてみた方、是非感想を聞かせてください。

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コメント: 3
  • #1

    (火曜日, 08 3月 2011 00:54)

    高田渡がホームレス的な感じというのはすごくよくわかります。
    達観したようで、諦めと強い意志が入り混じっているような。

    中央線=都会的な野暮ったさ、というのはとてもよくわかります。

    それでも、やっぱり例えるとするなら中央線のような気がします。

    (非常に感覚的な話で申し訳ないのですが)高田渡は中央線沿線の駅
    から徒歩15分くらいのところで、ちっちゃい公園の裏とかに住んで
    いそうなイメージです。

    “中央線沿線ど真ん中”ではないですが、隅っこでこじんまり、でも
    力強く生きているようなイメージです。
    僕のイメージかもしれませんが、向島や浅草っていうと花街の雰囲気
    があってもっと艶っぽいような気がします。
    あくまで、感覚の話ですが・・・。

    高田渡の音楽は包容力があっていいですよね。

  • #2

    yoshisaburo (火曜日, 08 3月 2011 22:25)

    感想を書いてくれてありがとう。

    確かに、高田渡がと浅草や向島のイメージは結びつかないかもね。
    もしかしたら、私が浅草や向島で見たホームレスの方々が、高田渡的だったと表現した方が正しいのかもしれません。

    高田渡の音楽の持つ、洗練された感じ、あか抜けた感じが、中央線的なイメージの中には収まりきらないような気がしたのです。
    僕は、中央線沿線で青春時代を過ごしたけれど、中央線沿線を思い出すとき、何となくネガティブなイメージが先行してしまうのです。

    国立はステキな街だったけれど、中央線から離れることで、やっと大人への一歩を踏み出せたと思っているのです。立川、吉祥寺、新宿で遊び歩く生活から、三ノ輪に住んで、日比谷線で通勤する生活に変ることで、大人へのシフトチェンジをはかれたのではないかって。
    中央線は、いつまでも叶わない夢を追い続けて、結局大人になりきれなかった人や、夢は実現できなかったけど、ローカルヒーローでいることに甘んじている人たちのイメージが強いので、嫌なのです。僕も中央線沿線に引っ越したらすぐそういう風になってしまいそうで。

    高田渡は、決してローカルヒーローじゃないと思うのですが、じゃあ何なのかと聞かれたら、なんと答えていいか解らなくて、困ってしまいます。

  • #3

    勃起不全 (火曜日, 12 5月 2015 07:40)

    「ほら???おいで? よしよし、素直な子は、好きだよ?」