昨日、眠たくなって、ろくにブログも書かないで寝てしまった。
いつも読んで頂いている方、申し訳ござません。
そんなこともあって、ブログは全然まともなことを書かなかったにもかかわらず、昨日は沢山の方に私のブログを見て頂けた。ブログを書き始めてから今まで昨日ほど沢山の方に読んで頂けた日は無かった。皮肉なもんである。だから、今日はちゃんとしたことを書こうと思っております。
ちゃんとしたことを書こう、と書いたものの、書くべきネタを用意するの忘れたので、困っているのですが、今日は、久しぶりに写真について書きましょう。
ストリートフォトグラフについて、何度も書いてますが、写真について言葉で説明するのは難しいですね。私は、写真を積極的にとり始めた頃からずっとストリートスナップを撮ってます。最初の頃は人よりも、街の質感に興味があって、雨にぬれた車とか撮ってたんですけど、気がついたら街を行く人たちに興味が移ってました。そのことには、豊原康久氏の写真との出会いも大きかったのですが、氏の写真を見て、それからロバート・フランクやクラインの写真を見て、これはやっぱり街を撮らなくてはいけない。街と人の織りなすタペストリーを写真というかたちで見ていきたい、と思いました。
それからもう10年ぐらい経ちますが、途中何年かブランクはあったものの、撮っている写真は殆ど変わっていません。一時期、住宅街の植物を撮ってたりもしていて、今でもそのシリーズは続けて撮りたいと思っているのですが、あくまでもメインは人です。
街を見渡しても、コンビニエンスストア、ファミリーレストラン、ファーストフード店、ドラッグストア等、どの町にいっても同じ風景なのが今日の街の肖像なのですが、待ち往く人たちはそれぞれの街を象徴するかのように、街によって色々な表情を見せます。
その日の天気、曜日、時間帯によっても異なりますが、街と人との有機的な関係の産み出すドラマは見ていて飽きることがありません。それを写真というかたちで記録していくのが、我々ストリートフォトグラフを撮るものの責務なのです。撮りたいから撮っている、ことには変らないのですが、撮りたくない日もカメラを首から提げてやっぱり撮ってます。だって、写真を撮れる時間は限られてるし、撮るべきものがそこにあったら撮るのが私たちの使命でしょ。写真をちゃんと撮る為には、そのくらいの責務を果たさなければいけません。
それで、今日渋谷で撮影していたら、茶髪の兄ちゃんに「何してるの?」って聞かれたから「見てわかるとおり、写真撮ってるんだよ」って答えたら「良いんですか?」って聞き返されました。私も小学生じゃないから自分のやっていることが「良い」ことなのか「悪い」ことなのかいちいち考えて写真は撮ってないけど、まあ、一応聞かれたことには答えようと思い「良いに決まってるでしょ」って答えたら、その兄ちゃん警察官を呼んで来て、警察官に説教されてしまいました。
まあ、たしかに写真撮られたくない人はいるだろうし、撮られたくなかったら「撮るな」って俺に言うか、撮られないように歩けば良いのに、撮っている私に「良いんですか?」って聞かれても困るんだよね。私は良いに決まってるから撮ってるんだけど、撮られるのが嫌だったら「良くない」ってことでしょ。良くないと思うんだったらそう言ってくれれば良いのに、私に聞かれてもね。
まあ、そんな風にいちゃもんつけられたりするのはストリートスナップを撮っている人の宿命みたいで、あのストリートスナップの神様ウィノグランドも、You Tubeで見たらいろんな人にいちゃもんつけられてました。それでも、誰かが撮らなきゃ優れたストリートスナップは残らないから、やっぱり撮るしか無いのです。写真の善し悪しと、写真を撮ることの善し悪しは違うのだからしょうがないのです。
例えば、戦場で死体を撮ったりすること、人殺しをしている姿を撮ったりすることも、撮られている人たちや、政府の人たちに撮ってみたら、「駄目」なことなのかもしれないけれども、誰かが撮らなきゃ写真はのこらないから撮るのです。なかなか、写真の善し悪しと、写真を撮ることの善し悪しの違いをわかってもらうのは難しいのですが、説明をする私がまずいのかもしれません。
私もできれば犯罪にならない範囲で写真をとって、それを人に見せたいと思ってますが、凄く良い被写体を前にして、それを撮ることが犯罪であったとしても、やっぱり撮っちゃうかもしれません。私は女の人を盗撮したりすることにはあんまり興味がないのですが、そういう写真の良さがわからないかというとそう言うわけではない。盗撮の写真はやっぱり気になります。のぞきって、やっぱり面白いじゃないですか。
まあ、それは置いておいて、ストリートスナップを撮り続けるのは、私の使命だから、その使命は果たさないと。せっかく私にしか撮れない瞬間があるんだったら、やっぱり撮らなくてはいけません。とくに、私は写真を撮らなかった期間が長いから、今からでも少しでも多く撮らなくちゃ。ストリートフォトグラフの系図を絶やさない為に、今日もデジカメを首から下げて歩いてます。
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and_tkt (火曜日, 22 3月 2011 18:16)
昔終電間際の渋谷駅でけんかが始まって、ばしばしストロボたいたことあるんですよ。
そしたらけんかに夢中だったはずの二人がこっちにくってかかって来て、そこに丁度おまわりさんがかけつけたから、助かったと思って状況を説明したら、僕だけしょっぴかれましたのです。
他にもイラン人に囲まれたりとか色々あって、すっかり臆病になった僕はもうストリートスナップはやってないのです。
撮りたくて撮る人の感覚も、撮られるのがいやな撮られる人の感覚も、撮りたいけど撮らない人の感覚も、誰にでも分かるように説明するのって難しいですよね。
その一方で写真ってのはまだ、安全で清潔なアートと思われてたり。
セックスにとって羞恥心が程よいスパイスになる、みたいな話と近いんですかね。
yoshisaburo (火曜日, 22 3月 2011 19:38)
コメントありがとう。
やっぱり渋谷は子供の街だから、細かいことにいちいち文句つけたい方々が沢山集まっているのかもしれません。そういう僕も、渋谷のギター屋を冷やかすだけ冷やかして、買わない子供の一人なのですが。
僕も、外人は言葉通じなくてめんどくさいんで、あんまり撮んないようにしています。以前黒人に詰め寄られたとき、とっさに言葉が出てこないでしどろもどろになってしまったから。それに、ああいうマイノリティーの人たちを撮ると、写真にメッセージ性が出るのも嫌なんです。そもそも、外人好きじゃないし。
それでも、ぼくもいい歳になってきたから、神経も図太くなりどんなとこでもまあ撮影できるようになりました。夜の歌舞伎町は別だけど。どこで撮っててもある程度透明人間になれます。
だれも、ストリートスナップを撮れないような窮屈な世界に生きていたくはないので、やっぱり撮り続けるしか無いんだと思います。
写真なんて科学を使ったメディアなんだから、使いようによっては絵画とか小説とかよりも欲望や悪意に忠実になり得るので、それが面白いんですが、なかなか、そこんところ難しいですね、説明するのは。
たまたま見たもの (土曜日, 02 7月 2011 16:43)
ストリートスナップを撮るのが使命…
私には理解できません
勝手な理由づけで、ご自分の行動を正当化しないでほしいなぁ。
写真を楽しむのには賛成ですよ。
ただ、街角で知らない人にカメラを向けられたら
(たとえ自分が添え物であったとしても)気分が悪いと
思う方が大半じゃないでしょうか
貴方の勝手な理屈は誰にも理解されませんよ。
撮られて文句あるなら、直接オレに言えと言われても
得体の知らない人間にそんなこと言う勇気はないですよ。私でも。
戦場カメラマン云々がちやほやされる近年ですが
そんなところで撃たれて死んでも自業自得、いちいち
ニュースで大騒ぎして同情するなよって感じてます。
yoshisaburo (土曜日, 02 7月 2011 19:59)
コメント頂きありがとうございます。
たしかに理解できない人の方が多いのは事実だと思います。私も、カルティエブレッソンやウィノグランドの写真を見るまでは、他人に町中でカメラを向けようとは思いませんでした。貴方のおっしゃるように、戦場に行って写真を撮ろうと思わないのと同じです。
ただ、ストリートフォトグラフの面白さには、私の説明しきれていない魅力があります。カメラが持つ情け容赦のなさと同居する、人間が感じる好奇心と発見の快感。これはスポーツなんかと共通する感覚なのかも知れません。
たまたま見たものさんもなんだかんだ言って、私のブログを丁寧に読んでくれているんで、案外ストリートフォトグラフに興味があるのかもしれませんね。
今度、オリンパスからストリートフォトグラフ向けの良いカメラが出るそうなので、一緒に初めて見ませんか?ストリートフォトグラフを。
ED (火曜日, 12 5月 2015 01:42)
「けど、俺がほしいのはアンタだけだ」
ED治療 (火曜日, 12 5月 2015 08:07)
「お前、顔色悪いぞ、疲れてるんじゃないか? 我慢すんなよ、少し休め」