人間は悲しい生き物である。
何よりもまず、その弱さである。人は自分が弱いことを直視できる程強くない。自分の失敗から学べることは多いが、またすぐに同じ過ちをおかしてしまう。人は、過去の事例から学ぶことで、二度と同じ過ちをおかさなくなる程よくできてはいない。そんな理想論とは全く別の、欲望とだまし合いと嫉妬のドロドロのドブに浸かりながら生きているのが人間である。
バイクの教習に通っててつくづくそれを感じる。先週注意されたことをまた注意されてしまう。自分が上手くできないのを教官の教え方のせいにする。教官は自分の教え方が悪いのを、教習生の態度のせいにする。
急に暗い話になって申し訳ないが、そんな人間の弱さってなんて魅力的なんだろうとつくづく思う。
人生が、生きる価値のあるものと思える理由は、人のその悲しさ、弱さというのがとても魅力的だからに他ならない。
矛盾する考えのようだが、きっとあなたもそう感じているのではないだろうか。人間が、過去の過ちを繰り返さないで、どんどんどんどん進化していって、改善されていったら、面白いことなんて殆ど無くなってしまう。争いごとが無い世界、人に迷惑をかけない人生、人生のうちの大半のことは正解を知っている人生、そういうのって面白くない。人間は、人間同士だましだまされあいながら、お互いの弱さをなめあう中で喜び悲しみを見つけているのだと思う。
いろんな反論はあるだろうけれど、私は人間がそういう悲しさを孕んでいて本当に良かったと思う。
どうしてそんなことを書いたかというと、昨日ほぼ完成したギターアンプである。「ほぼ完成」から一夜が明けて、なんとかイメージしていたものに近いものができたことを喜びながら、いろんなことを考えた。この調子で、アンプをどんどん作って、人に貸したり、売ったりできるようになりたいとか、自分ならもっと凄いアンプを作れるんじゃないかとか。そんなこともあって、アンプの材料をもう少し買い足してもいいのじゃないかとか、次はどんなものを作ろうとか、考えてた。
でも、よくよく振り返って考えてみると、このアンプでさえ、材料を買ったのはほぼ2年前。ハムノイズが止まらなくて、原因もわからなくて放っておいた期間約1年間である。そもそも、アンプをまともに作れる能力は、今の私に十分備わっているわけではないことは、ほぼ明らかだ。
しかしながら、これからも材料さえあればどんどん作れるんじゃないかって気がする。それで、商売でもできるんじゃないかって気がしている。なんてのんきなこと考えてるんだろう。
あんなにハムノイズの原因が分からなくて困ったこと、些細な配線ミスを何カ所もしてしまったこと。そんなこととっくに忘れているのである。人間って私も含めてこれだけ自信過剰だから、退屈な人生もなんとか生きていけるのだと思う。
今日は遅いので、寝ます。
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卵 (土曜日, 26 3月 2011 11:26)
君はバイクもいつか作れるようになるんやろか。
祖母の家に置きっ放し、かぶっちゃている赤いバイク、ぶうんと走らせたいような陽気やね。
しかし私は皮膚科。身体のどこそこの皮を病む以外なんの共通項もない近所の人たちと順番を
待っています。晴れた土曜日の午前なのにね。
なにがどうなったのか。
yoshisaburo (日曜日, 27 3月 2011 23:01)
ねえさん。こめんとありがと。
私も毎週土曜日の朝から二時ぐらいまで、病院の順番待ちで時間を過ごしてます。
全く無駄な時間の過ごし方ではありますが、慣れると、本を読んだり物思いにふけったりできます。