桜の季節になると、国立を思い出す。何日か前のブログにこんなことを書いたら、国立が懐かしく思い出された。国立の大学通の桜は今年も美しく花の頃を迎えているのだろうか。そして、その下を10年前の私のように新入生が、期待と不安を胸に闊歩しているのだろうか。
今はあの街もすっかり変わってしまっているのだろうか。私が住んでいた6年間で、街は様変わりしてしまったから、それから5年が経過した今はもっと変っているのだろう。またチェーン店に浸食されているのだろうか。数々の懐かしい店がカンバンを降ろしてしまっているのだろうか。
そんなことを考えていたら、『とむ』のことを思い出した。
国立の南口を降りて、旭通りを100メートル程歩いた角の3階に『とむ』はあった。私はその店で青春時代の大半の時間を過ごした。私だけでなく、私の周りにいた友人の多くは、きっと『とむ』で過ごした時間を懐かしく思っているだろう。
もっとも、私が『とむ』を知って、そこで呑むようになったのは、たしか大学4年目ぐらいの時だったから、僕の同級生はあんまりなじみがないのかもしれない。『キャプテン』の方が懐かしいと思う世代もいるだろう。わたしも『キャプテン』へは何度も足を運んで呑んだが、一人で『キャプテン』で呑んだりはしなかった。
『とむ』のマスターのとむさんは、ウィリー・ネルソンにそっくりな優しいおじさんだ。一度、私の妻と国立を歩いているきとむさんとばったり遭ったことがあったが、私の妻はとむさんをルンペンと勘違いしたらしい。たしかにいでたちはちょっと普通ではなかったが、居酒屋のマスターはあのくらい存在感があった方が良い。とても人の良いおじさんで、人が良すぎて店の採算はおそらく合っていなかっただろう。
とむへ入って、ビールかホッピーを頼むと、大抵いつも大根の浅漬けやら菜っ葉の天ぷらが突き出しとして出てきた。とむはチャージをとらない店だったから、突き出しも只なのだけれど、その突き出しだけでも何杯も呑めるくらいの量だった。それに、いつも、とむさんは野菜不足になりがちな学生の身体を思って、必ず突き出しは野菜だった。
ビールは500円、ホッピーはセットで450円、焼酎は200円だったが、とむで呑んで2000円以上払ったことは殆ど無かった。突出し以外にも、こっちが金がないとき何もつまみを頼まないで呑んでいると、どんどん食べ物をサービスしてくれた。だから、どんなに頑張っても2,000円もあれば充分食べて、呑めた。
特に良く食べたのは「焼うどん」だった。おそらくとむの常連さん達はみな毎回のように焼うどんを食べていただろう。とむのカンバンメニューだった。焼うどんは400円だったが、何人で食べても400円なのだった。「何人で食べても」というのは、例えば「とむ」で4人で呑んでいるとき「焼うどん」を頼むと、4人前相当の焼うどんが出てくる。10人で呑んでいる時「焼うどん」を食べると10人前相当の焼うどんが出てくる。それでも、値段は400円なのだ。そんなこともあってとむは貧乏学生で溢れていたが、みせが繁盛すれば繁盛するほど、とむは赤字になっていたのだろう。
初めて「とむ」へ足を運んでから1年ぐらいの間、「とむ」はちっとも繁盛していなかった。店がわりと地味だったこともあるだろうけれど、近くにはいろんなお洒落な店もある中、「とむ」はお洒落でもなく、いつも客のいない謎の店だったのだ。私が「とむ」の安さに惹かれて通い始めてからしばらくの間は、6時に店に入って、11時半の閉店まで、私が唯一の客であることもしばしばだった。そんな時も、お勘定は2000円くらいなのだ。それだから、とむはいつつぶれてもおかしくなかった。
その店の安さと、とむさんの人柄の良さと、つまみがおいしいことが学生の間に自ずから浸透し、店が貧乏学生であふれかえるようになったことがとむにとっては致命的だった。毎晩のように満席で時には店に入れないこともあった。どんなに店が繁盛しても、とむさんは貧乏学生に只でつまみを提供することをやめなかったし、つまみの値段も据え置きだった(ほとんどが300円か400円だった)。
私が大学を卒業する年の秋に、とむは店を閉めた。「とむ」最後の日、私は友人と二人でいつものように店に入り呑んでいた。呑んでいたら、お客さんから今日限りで閉店になる旨教えられた。とても、残念であったが、仕方がないので、最後の「とむ」を味わった。店を出ようとしてお勘定を頼むととむさんは「今日は握手で」と言って、手を握りあった。結局その日のお勘定は受け取ってもらえなかった。店を出て、肌寒くなった秋の夜の風を感じながら、自分ももう国立を去るんだということをハッキリと感じた。国立はもうその日から私の街ではなくなった。
今でもおそらく、国立には「とむ」という居酒屋がある。とむさんが店を閉めた後、そのままの状態でテナントが他の人に渡り、店の内装やカンバンはそのままで居酒屋をやっている。もうとむさんはいなくて、メニューもお酒も別の店になってしまってはいるが、とむさん自身が彫ったカンバンと店の外装はそのまま残っている。国立によったら一度よってみても良いかもしれない。
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and_tkt (月曜日, 28 3月 2011 00:08)
とむさんの発車のばんざい、懐かしいですね。
あんときは今よりももっと子どもだったから、とむさんの偉さが今よりもよく分かってなかったです。
偉い人でしたね。
yoshisaburo (月曜日, 28 3月 2011 20:07)
とむさんは、私の周りにいた大人の中で最もかっこ良かった大人でした。
一人で店を切り盛りしてて、結構大変そうだったのに、貧乏学生への気遣いを感じられるステキなお店でした。「とむ」が実在した数年間、あのお店は私たちを支えてくれていたんだと思います。
とむさんの姿をみて感じたのは、たとえ負け戦とわかっている挑戦でも、それを求める人がいる限りは戦い続けるという潔さでした。その意味では、とむさんは飲み屋の天才だったのかもしれません。
客の私たちがもうすこし早く大人になって、とむで沢山の金を落とせるようになっていたら、あの店ももうすこし長く続いてたかもしれませんね。早く金持ちになって、いろんな方々に恩返しできるようになりたいです。
bass_chopper (月曜日, 28 3月 2011 21:48)
こんにちは。
たまたまブログ拝見しましたが、国立在住でとむによく通ってます。店長は別の方に入れ替わってらっしゃいますが、たまにとむさんはお店に来られますよ。
yoshisaburo (月曜日, 28 3月 2011 22:29)
コメント頂きありがとうございます。
バーンキラオのマスターがとむのマスターになってからも何度かとむへ行きましたが、とむさんも見えるんですね。知らなかったです。
Bass Chopperさんは、何か音楽の活動をされているのでしょうか。
音楽関係の記事にもご興味持たれたらお気軽にコメントくださいね。
二代目とむ (日曜日, 20 3月 2016 02:49)
はじめまして、今、居酒屋とむをやってます、福井と申します。国立生まれ国立育ちです。20代中盤からずっと飲食店で仕事しています。私も居酒屋とむのお客さんを少しやりました。たぶん1年弱です。トムさんが70才くらいです。そのころは10時閉店にしていました。私はタイ料理バーンキラオのオーナーです、自分の店を抜け出して居酒屋とむでよく呑んでました。そんなころ、誰もいない居酒屋とむでトムさんと少し話ししていました。隣の店がやめる話しがあった時、自分も止めかな?と考えているよ⁉えっ〜、という、話しを聞いて、!もったいないな✨特に内装、トムさんは年齢的にも、しょうがないかな?と思いますが、トムさんが作ったイス・テーブル、店の雰囲気はのこした〜い)とおもいました。ある日!、長くてごめんなさい・
旭通りでトムさんにバッタリ、「今、不動産屋に行ってきました、えっェッ❗
もういっちょ❗えっ
とむの元バイト学生 (金曜日, 30 12月 2016 22:52)
2代目とむさん、突然のメッセージ、失礼します。懐かしくてメッセージしました。時は1980年代後半、おそらく、とむの全盛期?でしょうか。3年ほどバイトしてました。当時は朝4時まで営業で、1時くらいになるととむさんがよその店に飲みに行くので、よく、1人で切り盛りしてましたσ(^_^;)
挙句は、飲みに行った先のママさんたちを連れて帰って来て、盛り上がって、5-6時まで飲むこともしょっちゅうあって、とても楽しかったです♪( ´θ`)ノ
とむさんは、それでもすごく優しい方で、とても好きでした。とむを開く前に、国分寺でピッコロという定食屋をやってた頃、忌野清志郎さんが学生時代によく食べに来たと話してくれたなぁ。何せ、清志郎と言えば、僕ら世代の大ヒーローですからね〜〜(^。^)
その後、とむさんとは連絡が取れずなんですが、お元気なんですか?ご自宅も一度、お邪魔させていただきましたが、酔っ払って場所を忘れましたσ(^_^;)
よかったら、もしお目にかかることあれば、「文ちゃん」が連絡取りたがってるとお伝えください♪( ´θ`)ノ
突然のメッセージ、失礼しましたm(._.)m
とむの元バイト学生(その2) (土曜日, 03 7月 2021 20:50)
突然のメッセージ、失礼します。私も懐かしくてメッセージしました。私も1987年~1991年までバイトしていました。たぶん元バイト学生さんとも一緒に働いたことがあるかもしれません。文ちゃん、覚えています。確かにマスターが「買い物行ってきます」と言っては、3時間くらい買い物に行っては、酔っぱらって帰ってきましたね(笑)。その間私も働きながら、よく飲んでました。
明日、今の「居酒屋とむ」さんに行きますので、ググったら辿り着きました。学生時代の楽しい思い出です。