Left them all behind. しつこいようだけど、Danny Lyonへのオマージュ

バイク乗る時の服どうするか考えなきゃ。

 

先週末はとても熱かったので、革ジャンを着るわけにもいかず、有り合わせのものを着て乗りましたが、私の妻から、バイクに乗る時はひじのプロテクターを着けるようにいわれてるので、プロテクターが目立たない服をなんか見つけないといけません。胸部のプロテクターとして、べストみたいのを買ったのですが、なかなかこの上から羽織れるものが無い、いっそのことべストの上には着ないで乗るっていうてもあるんだけど、そのときひじのプロテクターはどうしようか。

 

そんなことを考えていて、なんだかプロテクターで身を固めてバイクに乗るのって、バイク乗りらしくないとは思うのですが、やっぱり安全第一です。何事も命には替えられません。

それじゃあ、バイク乗りって何だって言う話になるけど、バイク乗りっていったら、私には勝手なイメージがあります。それは、マンディアルグの小説だったり、ダニー・ライアンの写真とかからきてるイメージなんだけれど、自分でもあたらずとも遠からずなんじゃないかと思ってます。

 

それは、「すべてを置き去りにした逃避のツール」である、というイメージなんだけれど、まあ、それだけじゃ解らないだろうから、ダニー・ライアンの写真を例にとります。

 

「Crossing the Ohio」っていう一枚の写真があります。オハイオ川にかかった鉄橋を一台のチョッパーがこえようとしている写真です。チョッパーに乗っている長髪の青年(暴走族です)は、風に髪をなびかせながら、後ろを振り返っています。まるで何かから逃げるかのように。これです。これがオートバイです。

 

日常の世界って、煩わしいしがらみとか、義理とか、付き合いとか、我慢とか忍耐とか、挫折とか、不条理とかでいっぱいです。そういう世界からの逃避のツールとして、オートバイがあるのではないでしょうか。だから、何にも持たなくても良い。ちょっと着替えの下着と、靴下と、ガソリンや食料を買えるだけのお金(欲を言えば一万円ぐらいでしょうか)があれば、あとは何も持たずにバイクで逃げましょう。

 

私が、バイクに乗っているのは、その「逃避」の練習の為です。マンディアルグだって、結局はバイクで逃避するのです。その先で何が起こるかなんて考えてはいません。好きな男と過ごした濃厚な時間がひた走るバイクに絡みつつ、逃避するのです。

 

なので、昨日のブログに書いたバイクの収納についてはあんまり気にしなくていいのかもしれません。むしろネットでくくりつけるくらいがちょうど良いのかも。

 

こうして、ブログを書いていると無性にバイクに乗りたくなります。私の回りにある日常、やり残してる仕事、いろんな悩み、欲望と欺瞞それらすべてを捨て去る為に、バイクで走ってどこかへ行ってしまいたいのです。その為に私は銀色に光るバイクを持っている。

 

けれども、まあ、今夜はもうつかれちゃってて、つかれてるときに運転すると危ないから、とりあえず今夜はバイクに乗らないで寝ようかと思います。

 

それで、バイクに乗る時の格好ですが、本当は、革ジャン革パンを着てればそれで良いのかもしれませんが、これからの季節、革パンはともかく革ジャンは暑苦しいです。そもそも、せっかくのるならかっこ良く乗りたいと思うのが私の悲しい性なのですが、そのかっこ良くって言うのが難しいのですね。プロテクターつけるわけだから。

なので、今度の休みにバイク用品屋にでも行って、これからの季節何を着れば良いか研究してきます。それで決めます。

このブログを読んで頂いている方、バイク乗る格好で何か良いアイディアあったら教えてくださいね。