初めての遠出。その後考えたことと、傷心。

今朝は晴れわたってはいなかったけれど、天気がよかった。

昨日の晩から計画していた通り、先日買ったメッセンジャーバッグにフィルムと着替えを詰めて、愛車にまたがった。とりあえず行けるところまで行こう。それで、どこかで一泊して景色を見て、写真を撮影して帰ってこよう。そう思って、出かけた。

 

レザーパンツに、花柄のシャツを着て、シューティングべストをその上から着て、ニコノスをたすきがけにかけ、バイクのエンジンをかけた。端から見たら夜逃げでもするんじゃないかと思う程完全武装だったかも知れない。

 

横浜までは思いのほかスムーズに行けた。

横浜を抜けて、静岡を超えて、そのまま伊勢とか名古屋方面に行って、どっかその辺で一泊して、帰ってこようと思っていた。

 

戸塚にさしかかるあたりで、渋滞にはまってしまった。他のバイクのり達は、車の間をすり抜けて、なんの問題もなさそうに通り過ぎていく。私はアメリカンのバイクに乗っているのだけれど、どうも、車の間を通り抜けたり、路肩を走ったりするのは苦手だ。横幅の感覚が未だ解らなく、小回りがきかない。そのせいで、渋滞にはまったら車同様進めなくなってしまう。

 

それで、しばらくは渋滞を我慢してチビチビ走っていたが、疲労もたまるし、腹も減ってきたので、戸塚の手前のファミリーレストランに入った。丁度昼頃である。

 

昼飯を食べて、ファミレスから出たら、もう渋滞にはまるのがイヤになってしまい。家に帰ることにした。出発して二時間強しかたっていなかったけれども、このまま渋滞にはまって夕方を待つのがばからしくなった。

 

今日の教訓。休みの日に出かけるのであれば、前の日の夜に出発するか、早朝出かけなくてはいけない。今後、気をつけよう。

 

それで、家に帰って来るとき、上野のあたりから強い雨が降ってきた。その雨に20分ほど降られて、帰宅した。雨にぬれたせいもあり、ぐったり疲れた。次はもっと皆さんが行かないようなところに出かけよう。そう強く思った。

 

帰宅して、一眠りして、秋葉原に妻と出かけた。ヨドバシカメラの上のタワーレコードで独りCDを物色していたら、学生の頃から今日までに失ったもの、付き合いが無くなった友人、私と距離を置くようになった女の子のことを思った。

 

バイクに股がって、独りでいられる時間を楽しめるようになったのは、あの頃に比べて大きな収穫かもしれない。けれども、夢やロマン、欲望のうち、もう捨ててきてしまったものも沢山あることを思い、胸が痛んだ。

 

私の回りから消えていってしまった友人達、仕事や家の事情で東京を離れ、それっきり連絡が取れない方達、入学したての頃は仲良くしていたのに、学生の頃から既に疎遠になってしまった方達。そんな方々を思い出した。疎遠になってしまったのは悲しいことだけれど、人間というものはそんなに器はでかくないので、そういう風にその時の人間関係を生きることしかできない。平行線上にない2本の曲線のように出会ったり別れたり、再会したり、二度と遭わなかったり。そういうのが人生だ。

 

ここ数年のうちに、私に愛想を尽かして私を避けるようになった女の子達、彼女らにも自分の人生がある。私の方を振り向いてもらいたくても、どっちを向こうかは彼女達の自由である。彼女達は、私と街でばったり遭ったとしても、愛想笑いもしてくれないだろう。まあ良い、無理に追いかけるのはやめよう。悲しいけれど、人に嫌われるようになったことだけが収穫だ。

 

そんなことを思って、今の私はどうだろう、どれだけいきいきとしてるだろう、なんてことを考えた。

 

結局私たちは、お互いに求めあう程にお互いを愛せないし、願いは殆ど届かない。そんな中で、独り、バイクに股がったり、飯を食べたり、他の人と関わりあったりしながら生きていくのが人生なんだ。結局孤独は癒されない。満たされることを常に求め続け、常に満たされることはない。

 

二十歳の頃の私が今、私の隣にいたとしても、おそらく私は手を差し伸べたりしないだろう。やっぱり同じ失敗を経験し、傷つき傷つけあいながら、失敗しながら今の私になるに任せるだろう。手を差し伸べても事態は変わらない。結局失敗だらけの、生温い、かっこ悪い生き方を選びながら前に進むことしかできない。私たちが生きていることも、バイクと同じで、バックには進めない。そのことを受け入れて、ノロノロでも、滑ったり転んだりしながら進んでいくしかない。