カーペンターズが歌う『The End of the World』を聴いたことがあるだろうか?ちょと部屋を探したけれど、この歌が入っているCDが見当たらなくて、仕方ないのでYou Tubeで探した。
カレン・カーペンターのドッシリとした声になれていたせいかもしれないけれど、You Tubeで見つけたSkeeter Davisが歌うこの曲は、何とも素朴で、心をうつ名曲だった。
カレン・カーペンターのあの声で歌われる、多くの名曲の数々を聞き慣れているせいかもしれないけれども、カーペンターズの歌うラブソングはどこか他人事のような感じがする。スーパースターや、クローストゥーユーもそうなんだけれど、あんまり心がこもっていないというか、どこかブロンズ像のような無機質な感じがする。
カレン・カーペンターだけでない。エミリュー・ハリスとかも何となく無機質な感じがする。
カントリーの曲を、今どきの方々に受けるようにアレンジするとあんなサウンドになってしまうのか。いや、カーペンターズもエミリュー・ハリスのレコードももう30年以上前のもんだから、今時という表現は不適だろう。とにかく、70年代のはじめ頃はああいうサウンドが受けたのかもしれない。日本人の唄うたいで言うと、松任谷由実(いろんな方面から文句言われるだろうな)。
松任谷由実のあの失恋上手な感じ、確かにちょっとグッと来るところもあるけれど、歌っているご本人にとってまるで他人事のように無機質だ。
本題に戻るけれど、カントリーの名曲は、カバーバージョンだとかなり原曲とイメージが変っちゃってるものが多い。カントリーって、その名の通り素朴なところがあるんだけれど、一方で名人芸みたいなところがあって、しっとりとした歌はしっとり、明るい歌はたとえ葬式で歌ってもニコニコ、みたいなところがある。わかりづらいかもしれないけれど、ハンク・ウィリアムスのYou Tubeなんか見るとよくわかって頂けると思う、悲しいラブソングはとことん悲しくメソメソしている。そういう名人芸ができるのがカントリーシンガー。たとえは悪いけれど、講談とか人情話みたいな名人芸である。
最近はそういう風な芸風のカントリーシンガーがあんまり多くないような気がする。ドワイト・ヨーカムなんてさらりとしてて、ボンジョビみたいだ。ガース・ブルックスとかアラン・ジャクソンとかもなかなか上手いけれど、古き良きカントリーともちょっと違うような気もする(やればできるんでしょうけど)。だから、ちょっとカントリーファンとしては寂しいかぎりなのです。
日本の唄うたいだったら、誰に近いかな。なかなか思い浮かばないけれど、やっぱり前川清かな、天童よしみかな。とにかく、しっとりした気持ちでいたいときに古いカントリーのバラードを聴いてみてください。昨今の悲しいラブソングにはない素朴で、素直に暗く悲しい気持ちになれます。
『End of The World』を聴いて。やっぱり世の中にはどうにもならないことが沢山あって、それをどうにかしようと心では思うんだけれど、心で思えばそれだけどうにもならないことを思い知らされて、苦しむ。その構図が提示されて、慰められるというか、変な表現だけれど、安心する。
自分に興味がないこと、知識がないことは、いくら見栄を張ってもやっぱりわからないし、わかりたくない時もある。興味があっても知らないふりをしておきたいこと、突き詰めて考えない方が良いことなんてザラにある。世の中が、震災だ原発だって騒いでても、そんなことどっかにおいておいてゆっくり休みたいとき、放っておいて欲しい時がある。
古いカントリーの曲を聴くと、それが許されるような気がする。「しばらく夢の中にいて構いませんよ」と言われているような気がする。
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and_tkt (水曜日, 18 5月 2011 01:11)
Its Not The End Of The World?
http://youtu.be/zUoc6Wv72cs