チエーホフをつまみ食い。

明日から新しい仕事が始まる。なんだかちょっと緊張しています。初めての外資系の会社だし、上司はどんな人かも知らないし。それに、今の自分に何ができるのかもよくわかりません(仕事の内容もわかったようなわからないような)。それでまあ、今日は前日だというので医者に行き、定期券を買い、明日着ていく服をどうしようか考え(どうでも良いことなのですが)。昼寝をしたりもしましたが。

 

そんなかんじで、最後の休日を過ごしました。

 

仕事に向けて、マーケティングとかの本を読んでおこうかと思ったのですが、結局何も読まずじまいでここまで来ました。どんな本読めば良いかは明日、仕事に行ってから考えることとして、今日は小説です。

あたしは読書家って言う程本は読まないのだけれども、まあ人並みかそれ位本は読む方です。とは言っても、あんまりためになる本は読まないで、小説とか音楽についての資料とかそのくらいしか読みません。それも、大きなハードカバーの本は持ち歩くのが大変なので、大体は文庫本です。

 

小説とかも、初めから文庫本の中からしか探しません。だから新作とかは殆ど読みません。ほぼ100%文庫本。文庫本はある程度売れた本ばかりなので、はずれが少ないです。廉価版で発売されているCDとかと同じで、駄作の含有率がハードカバーに比べグッと少なく、安価で、手軽に読めます。だから、最近の作家の作品をあんまり読めないという欠点はありますが。

 

最近のお気に入りは河出文庫から出ている、翻訳物で、読みやすい文体とお手軽にいろんなジャンルの海外文学に触れることができてなかなか良いです。とは言ってもちょっと偏ってて、まあその偏り方に好き嫌いが出るのでしょうけれど、イタロ・カルビーノが結構沢山文庫化されていてあたしは好きです。

 

イタロ・カルビーノは器用な作家で、時代物(フィクションですが)、SF、ハードボイルドものとかを自在にパロディーにできてしまう素晴らしい作家だということも、河出文庫のおかげで知りました。ありがとうございます。

 

それで、昨日はまた一冊河出文庫を買いました。

 

まだ全部は読んでおりませんが、チエーホフの短編集です。あたしは、露文って全然今まで興味がなくて、ドスとエフスキーとかトルストイ、殆ど読んだことありません。露文てなんかうちの父親世代がせっせと読んでいたそうなので、面白いのでしょうが長くてややこしそうで今まで読まずに来ました。

 

ただ、露文には数々の名作もありますし、ゴーゴリの外套とか、なかなか考えさせられる名作もあるので、いつかは読みたいと思っているのですが時間と度胸がなくて手を付けてません。

 

そこに来てチエーホフ。オォ、こんなに手軽にチエーホフ読めるんだ。と思いそれだけで買いました(チェーホフが短編作家とは知りませんでした)。私、ホント露文に疎くてチエーホフは一作も読んだこと無かったのですが、読んでみると訳の妙もあるのですが、どんどん読める。運動の後のスポーツドリンクみたいにするするサラサラ読みすすめられます。

 

滑稽で、ちょっと皮肉ぽっくて、うっすら反体制なことをにおわせる小説ばかりで、そういうところが面白くて読む人もいるのでしょうけれど、私はどちらかというと、彼の(チエーホフって男ですよね?)人間の描写がとても人間らしくてそれが面白いと思いました。

 

人間描写では私はサマセットモームとかの愚かしい人間描写が結構好きで、モームの小説に出てくる愚かしい人物はつくづくうちの両親に通じるところがあると思っているのですが、チェーホフはもっと素直です。チェーホフの小説に出てくる人物は、素直にその人物であり、特別愚かしいところがあったり、突出した才能があったりはしなくて、良いです。人間の持てる内的世界って複雑なようでいて実はあんまり複雑ではなく、自分の知る限りの限られた世界の中で収束するって言うことを感じてしまいます。

 

今みたいに、グーグルで何でも調べられて、フェイスブックでいろんなお友達持てるようになっても、やっぱり友達付き合いするのは限られたお友達だけでしょう。チェーホフの時代と大した変らんのですよ。だから、まあ今読んでも笑えたり、にやりとさせられるのですが。

 

とは言っても、まあチェーホフも昔の人だから、携帯電話で何でもできてしまう現代人が読むと、なんか不安を感じちゃう。これはチェーホフだけでなく、どんな作家もそうなんだけれど、携帯電話を常に携帯していつでもどこでも誰にでもアクセスできる今の時代の私たちが、そういうのが無い時代のお話を、そういうのが無いことにして読むって言うのは、なんだかちょっとした思い上がりのような気がする。

 

それだけ、人間の姿って言うのは人間が作り出したものによって変ってきているのだとは思うけれど、その度合いが分からないで、小説すら素直に読めない。だって、チェーホフの登場人物も未開人も同じ次元で想像ずるわけにはいかないだろうに、そういうの無いことにして小説とか読むじゃないですか。それってなんか不自然よね、ってチェーホフを読みながら感じました。

 

全部読み終わったら、またチェーホフについて書くかもしれません。