今日、妻から聞いたんですが、アゴタ・クリストフさん亡くなられたみたいです。Agota Kristofさんって、なんだか凄い人らしいです。ハンガリーからアルプス越えでスイスに亡命したらしいんですけれど、そのとき乳飲み子を連れての亡命で、フランス語なんて全然しゃべれなかったらしいです。その彼女が、フランス語を用いて書き上げた小説は、なんだかとってもリアルで、気味が悪くて、残酷で、かつファンタジーの要素もあり、現代を代表する作家であると思います。
とは言ったものの、実は私彼女の小説『悪童日記』しか読んだこと無いので、何とも言えないのですが。読み始めたら、もう止まらなくなって、徹夜で読み切ったことを覚えています。それほど、彼女の文体は即物的で、かつどんどん読ませる不思議な力を持っているのです。
殆ど彼女の小説を読んだこと無い私が言うのもなんですが、『悪童日記』は現代社会の絶望的なところと、そのような絶望的な社会でのかすかなファンタジーを描ききったとてつもない小説だったと思います。読んでから何年も経つので、おぼろげな記憶でしか語れませんが。
もし、まだ読んだこと無い方は、5時間まとまった時間を確保して、『悪童日記』読んでみて下さい(本読むのが遅い私で、大体5時間くらいかかりました)。私も、時間を見つけて、今週末でも再度読んでみます。可能であれば、3部作の残りの2作品も読んでみたいです。
言葉を自由自在に操れることと、芸術的な文章を書くことは大きく異なるということは、薄々わかって入るのですが、アゴタ・クリストフのように母国語ではない言語で確立した文体を持つことは、かなり難しいのではないでしょうか。
普段、つまんないバイク雑誌と、写真集くらいしか読まない私が言うのもなんですが、私たちはまた、一人の優れた作家を失ってしまったようです。悲しいことです。
今日、アマゾンから丸田祥三の『棄景Ⅱ』と『棄景Ⅳ』が届きましたので、それについて書こうかと思ったのですが、妻からアゴタ・クリストフのことを聞いて、ちょっとこういう話になりました。これから『棄景2』でもじっくり見て、感傷に浸ろうと思います。
最近なんだかこの世の空しさについて思うのです。私にはどうにもできないことがたくさんある。例えば、私の好きな女性(妻以外でですよ)が幸せになることは、果たして私にとって良いことなのか、悪いことなのか。きっと悪いことなんだろうと思うのです。ねえさん、ごめんなさい私自分勝手だから。けれども、彼女の不幸を祈るのもなんか違う、私には何もできない。そういう空しさです(このブログ、うちの妻も読んでるんだよな。だから、あんまり細かいことは書きません)。
人を想う心はいつも届かない、たとえ求めあっても届かない、と吉田拓郎が言っていました。色即是空、空即是色、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀。
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卵 (土曜日, 06 8月 2011 17:02)
悪童日記三部作を読み終えました。
おかげで夏休みに入るまでのここ数日間、ぼんやり会社を遅刻し、気づいたら国境近くの小さな町の骸骨の吊り下がる屋根裏部屋にいて、残酷な祖母は鞭で私を打つし、上司は鋏で私の耳を切り落とそうとするし。
そう。夏休みなの。
君が望まないなら、這いつくばる耳を食べてでも幸せになってやる。遠い空から降ってくるやつ、残らず食い尽くしてやる。
yoshisaburo (土曜日, 06 8月 2011 20:24)
ねえさん。ブログにコメントくれてありがとう。
僕はまだクリストフ読み返せないでいます。なかなかまとまった時間とれなくて。
クリストフってなんだかはっきりおもいだせないんだけど、国境の街まで連れ去られたようなきがします。
そう、不幸になることは望んでるつもりじゃないんだけれど、僕が幸せにできないなら、僕以外の誰かが君を幸せにするんじゃないかと思い、それってなんだか癪にさわるのです。
でも、そんなことより、もうすぐ夏休み。