『父が消えた』について知っていること。

最近あんまり本は読んでいないのですが、本について考えることがよくあります。それは、本を読みたいという欲求と、本を読むと時間がかかってしまうということへの葛藤から来るのかもしれません。

 

最近読んだ本では林芙美子の詩集が良かったと思います。瑞々しさと力強さを兼ね備えた生々しい詩の数々に新鮮さを感じました。でも、それ以外は写真集を何冊か見ただけで、殆ど本は読んでません。あ、前の会社で買ってもらったドラッカーの本はなかなか面白かったけど。

 

それで、今日も本についてです。

高木護と尾辻克彦につては、いつか書かなければいけないと思っておりましたが、今日は尾辻克彦についてです。

 

先日、アゴタ・クリストフは『悪童日記』しか読んだことが無いと書きましたが、嘘でした。3部作全部読んでいました。アゴタ・クリストフの3部作のあまりにも完成度が高くて、3つの別々の小説だと言うことがあんまり呑み込めなかったのかもしれません。3部作のそれぞれが、それぞれの作った世界観を裏切り、新しいものを提示してきているのに、結局は一つの世界観を提示している希有な小説です。まあ、しばらく読んでいないので結構忘れてしまっておりましたが。

 

それで、尾辻克彦の『父が消えた』。おそらく私が知っている小説で、最も美しく、喪失というものの本質を見せてくれた小説です。わたしは、この本に出会うまでは、川端康成の『ざくろ』が世界一好きな小説だったのですが、『父が消えた』を読んでランキングが変動しました。

 

尾辻克彦は、まあ赤瀬川原平という名前の方がファミリアーかもしれませんが、とってもマルチな人なんだけれど、私は、彼の美術作品よりも小説の方が好きです。ライカ同盟とかトマソンとかで、面白い写真も写していますが、やっぱり小説です。赤瀬川原平の描写力の力強さときめ細かさが同居して、且つ技巧的ではない、どちらかというと不器用にも思える文体がとても良い。それでいて、小説とは象徴をつなげて構成されるものであるというクラシカルな方法論が、一つの完成されたものとして提示されている。

 

とっても抽象的でわかりづらい表現になりましたが、例えばこういうことです。尾辻克彦の文章は、感情や愛情の質感が上手く表現されている。それが、ちょっと悲しい形で完成されている。こういうとなんだか安っぽいお涙頂戴系のようなとられ方をされてしまいそうですが、まあ、それと全く違うわけでもない微妙なところで落ち着いている。だから好きなのかもしれません。

 

尾辻克彦は、小説じゃなくてもエッセイでも面白い。やっぱりマルチな人なんですが、赤瀬川原平の美術作品の持つ政治色がなんか小説やエッセイが世の中に広まることを邪魔しているようでもったいないです。いろんな言動で赤瀬川原平にへんな先入観を持たれている方は、赤瀬川原平とは全く別人の尾辻克彦の小説として『父が消えた』を読んでみることをお勧めします。

 

僕も時間があったら読み直してみるので、読まれた方感想を教えて下さい。