ジャズって結局なんなんだろう?サンセベリーノ

ジャズリスナーの方には、偏屈な方も多く居たりして、なかなか厳しいジャズの定義なんかをお持ちで。そういう哲学みたいのと、ラッパやらバンジョーやらで騒がしくやる音楽がガスバーナーで溶接されて、いびつな形になったまま、タバコ臭い地下の飲み屋でくすぶっている。

 

そういう人にとって、ジャズってとっても難しい音楽。たまに若いちょっと可愛い女の子に「ジャズってなんだか難しそう」とか言われたときには、「いや、そんなこと無いよ、楽しむ音楽だよ。」とかなんとかいうくせに、その子の横でやれツーファイブだのミクソデリアンだのハナクソデリアンだのっていう話をして、カッコつけたりする。そういう鼻持ちならないのがジャズっていう音楽だ。

 

だから短小コンプレックスを持つ日本人男性にはすこぶる人気が高い。

金曜日の夜に、いつもよりもちょっと高めの背広を着て、萎れてしまったずっと前にプレゼントでもらったネクタイなんか締めて、かなり年下の女の子を連れて、地下に入る階段をおりる。

 

店の入り口に近づくと、中からシンバルと、ベースの音が聞こえる。ここで、グッと女の子の腰に手を回してから、ゆっくりと重いドアを開ける。店の中はしーんと静まっていて、そこにはジャズの演奏しか聴こえない。

 

カウンターの並びの席に着いて、マティーニとなんだかわからないナントカフィズだかベルリンフィズとかいう酒を頼む。しばらく演奏に聴き入っているふりをしながら、今夜はどうやってこの女とイヤラシいことまで持ち込もうか、それともキスだけでやめようかなんて考える。そういうときには妙に気が大きくなる。

 

曲が終わり演奏が止む。女の子が飲み物に手をつけて

 

「うーん、ジャズってなんだか難しそう」

 

この瞬間を待っていました!とばかりにジャズのうんちくを披露する。優越感と恍惚をしばし味わいながら女の子にイヤラシい視線をなげる。

 

日本では安政の昔からそういう風に、短小コンプレックスを持つ男がナントカ女をやり込める為のネタとしてジャズは用いられてきた。

 

こんなことを書いている私も、そんな風にジャズと付き合ってきた一人かもしれないです。そういう連中にとって一番厄介なのが「ジャズがわかる女」です。ジャズの蘊蓄をそのまた蘊蓄で返さりたりしたとき、私たちは何とも言えない気まずい気持ちになります。

 

そんなことを考えていたら、小難しいジャズを聴きたくなくなりました。コルトレーンとか、オーネッとコールマンとか、アッチーシェップなんか聴いている御仁はジャズ業界でもかなりのインテリ派に違いありません。あんな演奏を聴いて楽しめちゃうのはちょっとしたジャズ上級者だけです。あたしは、ああいうの苦手です。難解で、カッコつけてて、野暮ったくて。

 

あたしは学生の頃ジャズ研に入ってたので、そういう連中のレコードも持っていて、極たまに聴いたりしますが、あんまりよくわかりません。とくに、仕事に疲れたあとに聴く音楽としてはちょっとテンションが高すぎます。休日の午前中とかなら聴けるかもしれませんが。

 

だから今夜はちょっと違った方面からジャズをのぞいております。短小コンプレックスと無縁のジャズを。

 

Sanseverinoです。

このおじさんは、ジャジーな上にフランス人です。いや、正確にはジャズじゃないのだけれど、ジャズっぽいポップスをフランス語で歌うサンセヴェリーノ。

 

こういう音楽は大人の男が聴いて喜ぶ類いのサウンドではないかもしれませんが、ポップでキャッチーで、ジャズなんかに興味なくても何となくカッコいい音楽です。シャンソンとジャズって昔から仲がいいのかもしれませんね。サンセヴェリーノはシャンソンじゃないけれど、ジャズとシャンソンの美味しいところを味付けに使ってて、味の素を沢山使うタイ料理屋みたいな感じです。

 

こういう音楽聴くと、真面目にジャズと向き合っていた自分がちょっとかわいく思えます。そんなに真面目に向き合わなくてもジャズって充分クールでヒップな音楽です。サンセヴェリーノもそう言ってます。