ところでその女何処のどいつだ?っていう名盤

人生は良いことばかりじゃない。いや、そんな大袈裟なこといわなくても、毎日は苦悩で満ちあふれている。全ての行動が裏目裏目に出て、知らず知らずのうちに人を傷つける。そして傷つく。

 

そんな毎日を、半ばやけくそに生きているのだけれど、この、人生の張り合いの無さにはうんざりする。多くの人とは心通じ合わないまま、徒に傷つけあい、もっと多くの人とは関わることもなく人生を終えていく。新しいガールフレンドなんてできないし、昔のガールフレンドとは連絡すらとれない。片想いをしたとしても、徒に時を過ごすだけで、なんの進展も無い。

 

そういえば、先日とある女友達と会った時まだ年末までひと月以上あるってのに、「じゃあ、良い年を」って別れ際に言われたっけな。そんなに俺に会いたくないなら、はじめっから会うなっつの。

それで、まあ、世の中には必然的に、救いって言うものがなくてはいけないわけで。太古の昔からイエスキリストとか親鸞とかが頑張ってそういうものをこの世の中に残そうと頑張ってくれてきた。

 

だから、私も、自分の人生の目標の一つとして、この世にどんなものでも良いから、ある種の救いを残したい。世の中やなことばっかりで、何も良いこと無い、って落ち込んでいる方に、少しでも心安らげる時を提供できるようなことがしたい。それが、自分の家族や、妻や、ガールフレンドや、友人や、まあそれらの私の周りのに対してできたら、私も生きている意味もあるってもんだ。

 

他人まで幸せにはできない。そういうことができる人は尊い。イエスキリストや親鸞なんかはもしかしたらそういうことができた人なんだろうけど、私はそこまでの影響力は無い。親鸞までいかなくても、ジョンレノンとか、中崎タツヤなんかも赤の他人の心をほっこりさせたりできて、素晴らしい方々である。それらの人たちは尊い。

 

アートブレーキーは「ブルースは、人々の心の苦悩を洗い流してくれる」って言うようなことを言ったとか言わないとかウイントン・マルサリスがテレビ番組で言ってたような気がしますが、そういう意味では、アートブレーキーなんかもキリストや親鸞の仲間入りできるかもしれない。

 

そして、その解釈をもっと拡げれば、David T Walkerもメロウなギターで人々の心を癒し続けてるとも言えるでしょう、か。それで、そのギタープレーを堪能できるアルバムとして、Who is this bitch anywayはなかなか渋いアルバムです。世の中難の良いことも無いかもしれないけれど、良い音楽はあります。それだけが心の救いかもしれません。

 

今日は、イエスキリストと親鸞を何度か引き合いに出しましたが、私はこの二人について何も知りません。質問しないで下さいね。

 

世の中良いことはありません。私は皆に嫌われている。

けれども、世の中に確かに良い音楽はあります。そのことは忘れないでいたいです。

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