今日日本橋の丸善に行って、洋書のコーナーを見た。
そしたらBrassaiの見たことの無い写真集が売られていた。Brassaiがアメリカを訪問したときに撮影した写真の写真集らしい。旅行写真、旅写真、異国の写真というのは、どうもそのエキゾチックなところが写真の味付けの大半を決めてしまって、どうも面白くないのだけれども、いくつかの例外もある。エキゾチックでも、それを上回る程素晴らしい写真群、例えば、木村伊兵衛のパリとか、マーチンパーのスナップとか。
それで、ブラッサイの場合はどうなんだろうかと思って、ページをめくってみると、なかなか悪くない。
この本については、この本が手元についてからあらためて書くことにするけれども、是非とも一冊手元におきたいと思わされた写真集だった。
ブラッサイという写真家はなかなか写真集を見ただけではその素晴らしさが伝わってこない写真家の一人だと思う。今手に入る写真集で、夜のパリがあるけれど、あの写真集の印刷ではオリジナルの夜のパリの透明感のある漆黒の闇は伝わってこない。ブラッサイの夜のパリの写真は、かつてのパリが写っているというよりも、なんだか映画の中の街のようにドラマチックで胡散臭い。この胡散臭さが、なんとも洒落ていて、写真を帰って写真的にフォトジェニックにしている。
いや、そもそもフォトジェニックであるというのは胡散臭いと同義かもしれない。確かに写真が写真として完成する過程で、暗室作業やセレクション等の写真に手を入れる過程があるし、それ以前に撮影の段階で光線を選んだりするから、写真家がわざとフォトジェニックにすることはできる。けれども、フォトジェニックな写真は初めちらっと見る分にはドラマチックでかっこ良かったりするけれども、それだけでは長く鑑賞に堪えうるものにはならない。
けれども、ブラッサイのパリの写真に関して言えば、フォトジェニックでありながらどこか乾いた、即物的な、危ういバランスを保った写真に仕上がっている。それは彼の得意とする縦位置のフレーミングと相まって、ちょっと掛け軸のような不思議なバランスと、写真同士が保管しあってできる未知の世界への入り口のようなロマンチックさを持っている。
縦位置のフレーミングだから掛け軸的であるというのは、ちょっと自分でも短絡的な意見だと思い反省しておりますが、ブラッサイの写真の一枚で完結していながらも、何枚も組み合わせた方が尚素晴らしい、という絶妙なバランスは、全ての写真家がお手本にしても良いところだと思う。最近だと、ヨルゲンテラーでしたっけ、なんて発音するのかわからないけれど、あのドイツかオランダかの写真家の作品とか、私が好きなサリー・マンの写真もその典型例だと思います。
写真家の写真はやっぱり一枚でもある程度完成していた方が面白い。けれども、一枚一枚の写真が絡み合って独自の世界を築いていなくては面白くない。それが、写真作品として写真と向き合うということである。ブラッサイの写真の場合、それぞれの一枚の写真としての完成度がかなり高い。ともするとフォトコンの写真のように一枚で完結してしまっているところがある。けれども、それが、作品群となったときに、より強固に一つの世界観を作れているところに彼の作品の素晴らしさがある。と思う。
皆さんもブラッサイについて思うところがあったら、コメントください。
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