秋葉原といえばアロハシャツである。
アロハシャツが最も密集しているところは、ホノルルでも船橋健康センターでもなくて、電気街のあたりかもしれない。
秋葉原に来られる方はファッションに無頓着な方が多いと思われているかもしれないけれど(そう思ってるのは俺だけか)実のところ、ファッションについてはこだわりを持たれている方が多いと思う。
ちょっと前なら、襟のところがダラダラになったTシャツにハイテクスニーカーをはいてリュックを背負っているヒトばかりだったけれど、いまは実にお洒落な方々が沢山いる。ファッション誌とかも一度秋葉原の路上をチェックして頂きたい。いや、それはちょっと言いすぎかな。
それで、今日はアロハシャツ、じゃなくてボーリングシャツである。
今日は嫁さんと秋葉原のドンキホーテという店を見物に行った。その途中UDXの横を通ったら沢山の露店が出ていた。一種のフリーマーケットなのだけれど、出店しているヒトのほとんどは業者だ。
それで、何件か古着屋が出ていたんだけれど、その中でアロハシャツを専門に扱っている店があった。秋葉原の方々はアロハシャツをお召の方が多いので、そんな秋葉にピッタリの露店である。
それで、アロハシャツにはあんまり興味がなかったのだけれど、ボーリングシャツも何着か混ざっていたので、その中を物色して一着購入した。3000円也。安い。アメ横でボーリングシャツを買ったら一万円はゆうにするだろうから、古着とは言え3分の1だ。
私は昨年まで自分の腕が細いことが恥ずかしくて、一度も半袖の服を着て出歩いたことは無かった。夏でもいつも長袖シャツにジャケットを羽織っていた。
しかし、近年デブになってきたので、自分がヒトからどう見えているかあんまり気にしなくなってきた。それで、30を過ぎて半袖デビューである。何故か無性にボーリングシャツやアロハシャツを着たくなって半袖のシャツを買った。それと同時にユニクロでタンクトップを3着買った。タンクトップなんて今まで恥ずかしくて着れなかったけれど、このくらいの歳になってきたら、こういう服を着てられるのもあと何年あるかわからない。だから、着てみたかった服はとにかく買ってみた。
秋口になれば、タンクトップに革ジャンを羽織ったりも出来るかもしれないし、アロハシャツの中にきるにもちょうど良い。
それで、アロハシャツやボーリングシャツを羽織って、コンビのロファーを履いて、ボトムにはディッキーズのワークパンツをはいて、ちょっとチンピラ気取りで上野の街を歩いてみた。なかなかいい気分である。アロハシャツとかボーリングシャツを着ると、誰もがチンピラか秋葉系に見えてしまうけれど、私が目指してるのはそのどちらでもない。
出来れば、50‘sのおめでたいアメリカの若者のような着こなしをしたいと密かに思っているのだ。「アメリカングラフィティー」っていう映画ご覧になったことありますか?ジョージルーカスだから結構有名な映画なんだけれど、あれに出てくる若者みたいになりたい。と、書いている私もあの映画見たのもう何年も前だからどんな登場人物がいたかは覚えてないけれど。けれども、あそこで描かれていたのは50‘sのアメリカンカルチャーだった。まだ、ヒッピーもいないロン毛もいないアメリカである。テディーボーイは皆髪の毛をダックテールに撫で付けて、レイバンのサングラスをかけて、テロンテロンのレーヨンだとかポリエステルだとかそういったモダンな素材で出来たシャツを着て、女の子はボリュームのあるスカートか、もうちょっとあとの時代になるとホットパンツとかを履いて、ジュークボックスのロカビリーにあわせて踊る。
ああいう、悩みとかあんまりな異様な、ちょっとアホみたいな若者を気取ってみたいと本気で思ったのだ。けれど、まあ私は平凡な日本人だから、いくら頑張ってもああいう風にはいかない。せいぜいタケシ映画に出てくるチンピラが関の山である。あんまり格好にうるさい会社ではないけれど、一応は会社員だし、あんまり髪を伸ばしたりも出来ない。親もまだ健在だからタトゥーも入れるわけにはいかない。だから、とっても中途半端な50‘s気取りなのだ。
そんな格好をして、電気工作の部品を買うために秋葉原の電気街を歩いてみた。しばらく歩いていて、妙な連帯感のようなものを感じた。私の格好が、まさにこの秋葉に集まっている方々のファッションの方向性とマッチしているのだ。50‘sを気取ろうと思ったら、期せずして秋葉系になっていた。秋葉原とは何でも飲み込んで自分の一部としてしまう恐ろしい街なのだ。
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