Between dependence and deep blue sea

長い一週間。今の仕事をはじめて一番長い一週間。出口は見えるけれど、その出口にたどり着きたいような、このままでいたいような。このままではいけない。先に進まなければ。人生は続いていくのだから。

 

今夜は何の話をしようか。

もしかして、誰にも読んでもらえないかもしれないけれど、僕自身について話そう。つまらないかもしれないけれど、お時間許しましたらお付き合いください。

何年か前に、学生時代の友人とリハーサルバンドを組んでいた。リハーサルバンドとは、永遠に本番のステージを迎えないスタジオ練習だけのバンドだ。古い歌謡曲をトリオでどれだけできるかの実験だった。

 

実験は上手く行かなかった。今はなつかしドリカム編成だったのだけれども、上手く行かなかったのは男女の関係のせいではない。ドラムの女の子がリハーサルバンドというあり方に我慢できなかったのだ。

 

彼女の気持ちはわかった。だからすぐ解散した。彼女がいなければバンドは続かなかった。結局殆ど決まったレパートリーができる前に崩壊した。それ以来バンドはやってない。ギターも殆ど弾いてない。

 

それで、そのバンドの数少ないレパートリーが「大きなタマネギの下で」だった。

 

ご存知ですか「大きなタマネギの下で」。文通のはかなさ、織り姫と彦星は結局一度も逢うことなく銀河へ消えてしまう。私はこの曲が好きだった。メンバーもみんな好きだった。いつも練習中に大合唱になって、時々泣いた。本当に気持ちを込めて歌うと上手く歌えない。だから、適当に他のこと考えて歌った方が良いのだけれども、この歌はなかなか自分を他のところに連れて行ってくれなかった。

 

私も、17の頃オーストラリアに留学していて、その頃文通をしていた女の子に恋をした。何度目かの初恋だった。思春期の真っただ中の片想いだった。彼女とは何十通も手紙のやり取りをしたけれども、結局一度も逢えないまま終わった。いや、正確には一度だけあっただけだった。私が日本をたつ一週間位前に友達と男女何人かで一緒にあった。そのとき、一番地味だったのが彼女だった。

 

今どんなに思い返しても彼女の顔を思いだせない。何日か前にフェイスブックで当時同居していたジョニーからその頃の私が写った写真がおくられてきた。その写真に彼女の写真を持った自分が写っていて懐かしく思いだした。

 

その頃は、思春期のどうしようもなく心のやり場も無い自分を何かに引っ掛けておかなければ生きていけなかったのだ。そんな自分を引っ掛けておける場所として文通相手の彼女がいた。本当に恋愛だったのかどうかはわからない。だいいち、一度しかあったことのない女の子のことは、何度手紙をやり取りしても結局はわからない。私の中で勝手に彼女を作り上げて、その彼女に恋をしてたのかもしれない。

 

結局自分の感情なんて説明できないし、誰にも理解されないかもしれない。今私の隣ですやすやと寝息をたてている嫁さんも私の心の中まではわからないのかもしれない。そのまえに自分自身も自分のことがわからない。

 

福山雅治の歌に「どんなに深く愛し合ってもわからないこともあるでしょう。その孤独と向き合い生きることが、愛するということかもしれないから」という歌詞があった。良いことを言うぜ福山雅治。

 

結局、その孤独と向き合い生きていければ、恋人とも上手くやっていけるのかもしれない。けれども、本当にそうなのかな?福山雅治の世界と比べて、この世の中は複雑すぎて、何もかもが遠すぎる。オーストラリアと札幌も遠かったけれど、絶対的距離なんて何の意味も無い。逢えない時はいくらもがいても逢えない。何度か国際電話かけたけど、結局彼女の心はつかめなかった。結局逢えなくて孤独なままではヒトを愛せない。

 

だから結婚して良かった。家に帰れば嫁さんに会える。これほど良いことは無い。うまく行かないこともあるし、いつも精一杯愛せるわけではない。けれども、ほぼ毎日逢える。ザマ見ろサンプラザ中野。逢えれば、自分の本当の気持ちに直面することができる。僕は、あんまり好きじゃなかった女の子とそこそこの関係になったことがあったけれど彼女と会っているときに、「俺この娘のことあんまり好きじゃないな」ってはっきりわかった。彼女と会う時間があって本当によかった。逢わなかったらどうなっていたのかわかったもんじゃない。オー、クワバラクワバラ。

 

話が横道にそれてしまった。「大きなタマネギの下で」はこういう私みたいな男性一般にはざっくり刺さってくる歌だ。結局、恋とは何なのかわからんし、友達と何が違うのかもわからんけれど、思春期に限らずヒトはやり場の無い心を引っ掛けておけるところが必要だ。今は大人だからそれが女の子でなくても、バイクやギター、カメラなんかでも代用できるようになった。それに、いつも嫁さんが近くにいる。

 

そういうものたちに依存しながら、自分だけ美しく生きていければ良いと思う。それを自分勝手と呼ぶのかもしれないけれど、自分勝手よりサイテーの奴らは沢山いるし、自分だって自信がない。私を支えてくれる皆さんへのせめてもの恩返しに、精一杯美しく生きていたいと思う。

 

それで、そう、リハーサルバンドだった。永遠に本番のステージにたつことが無いことは確かに物足りないかもしれない。その気持ちもわかる。けれども、僕はそうやって仲間達と音楽を楽しむことさえできればよかった。何かの形にすることは求めていなかった。それを理解してくれるパートナーが見つかったらリハーサルバンドをまた組もうと思う。誰か組んでくれますか?

 

結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。わからなくなってしまったから、「大きなタマネギの下で」でも聴いて下さい。