傷心にトランペット。チェットベーカーのハードバップ

今週末は二日酔いで始まり、とても有意義に過ごしたとは言えない。

週末の終わりに、先週を振り返って、ああ、そうだ失恋から始まった一週間だった。と。

 

正確に言えば、失恋とも言えないのかもしれないけれど、傷心には変わりなく、こんな風に二人の男女の人生が交わること無く別れ別れになることへの若干の不満を感じながら、向こうは今頃とっくに私のことなんて忘れて、毎日の生活を過ごしているのかと思うと、ちょっと悔しい。

 

あたしだって、貴女のことよくわからないままお別れが来て、どうして良いかわからないまま。貴女が僕をどう思ってたのかはわからないけど、あんまりいい印象を与えなかったのは確かかもしれない。

それで、こういう時はとにかくチェットベーカーである。傷心とはこの人のトランペットの音色を聴くために存在する言葉のようだ。

 

傷心にトランペットはよくあう。コーンポタージュにクルトンがあうのとか、そういう次元でトランペットは恋敗れた心にトーンと響く。心の中は空っぽだ。何もなくなってしまった心、自分の名前を呼んでも、それが呼応すること無く、消えていく。

 

そういう心に、チェットベーカーのマイルドでクールなトランペットの音色。リーモーガンとかみたいなバリバリのトランペットじゃなく、曇った音色のロングトーンが、ツーファイブフレーズが、心の中で響いて、そこに何も無いことを私に知らせる。ああ空しい。空しいという言葉が本当に空っぽで、そのことがむなしい。

 

とは言っても、いつまでも傷心にひたってもいられない。そこで、棚の奥にしまってあったトランペットを出してみた。出して、ミュートをつけて、ちょっと吹いてみた。かろうじて音が出た。かすれながらフワーッと音に鳴らない音が出た。うーん、またちょっくらトランペットを練習してみるか。何か弾けるようになるまで、久しぶりにトランペットを吹いてみようか。

 

傷心にトランペットはよく似合う。