記憶が消えてしまう前に①

私の歳まで生きている方々にはおそらく誰もが平等に十九、二十歳の頃があったはずだ。不思議なことだけれど、あの人にもこの人にも十九、二十歳の頃はあったのだ。これから産まれてくる赤ちゃんにも特に問題がなければ、おそらく十九、二十歳になる日が来る。それが青春と呼べる日々であるのかどうなのかは学術的なことがわからないからはっきりとは言えないが、私自身に関して言えば、まさに十九、二十歳の頃が私の青春だった。二十歳になって大学に入学したが、その後の数年間は青春に附属しているおまけみたいなもんだった。

 

実際、大学に入ってからは殆ど青春時代らしきことはしなかった。模型飛行機の製作と、スナップ写真の撮影に明け暮れていて、他には殆ど何もしなかった。

それなのに、社会人になったら、飛行機も、写真も殆ど興味が無くなってしまった。

 

恋愛も殆どしなかった。今の妻とその頃既に付き合っていたので、他の女性と恋愛をすることは殆ど無かった。ただ一人、学生の頃知り合った女の子で好きだった娘はいた。その後も、ずっと好きだったが、結局一度も付き合うことはなかったし、二人きりでデートしたことすらない。ついにその娘も数年前に結婚してしまった。

 

だから、今手元には大学時代に手に入れたものは殆ど無い。嫁さんと、数人の友達だけだ。

誰もが十九、二十歳の頃のことなら、結構色んなことが書けると思う。その辺りの年齢は多感な時期だし、色々初めての経験をする。学校を卒業したりして、身の回りの環境も変わる。何より、成人して、すこしづつ世間では大人扱いされるようになる。

 

このごろになって、十九、二十歳の頃のことがだんだん思いだせなくなってきた。友人だった人たちの名前、時系列、現実と妄想、そういうものがだんだんぼやけてわからなくなってきた。

だから、まだ憶えているうちに、その頃のことを書き記しておこうと思う。

 

 

私の身の回りで、十九、二十歳になれなかった人はただ一人だ。

高校の先輩の石川さん。これから書く文章でただ一人実名で登場してもらう。彼は十七の冬に死んでしまった。急死である。だから石川さんには十八の春は訪れなかった。ちょっと変わり者だったが、凄くギターが上手い人だった。高校の音楽室に行くと殆どいつも石川さんはそこにいて、弦が切れたままそこに放置されている数台のギターの中から、わりとましな一台を見つけ、ピックでバリバリ、まるでエレキギターのように奏でていた。後にも先にも、あんなにメロディアスな速弾きができる人はいないんじゃないかと思う程、人の心を引きつけるものがあった。彼があんまり上手いので、私はその頃からギターで人一倍上手くなろうという気持ちにはなれなかった。

石川さんとの思い出はそんなに多くない、彼からBOSSのスーパーコーラスというエフェクターを6000円で買ったことくらいだ。結局そのエフェクターもよく使い方がわからないまま、大学時代に人に貸してそのままになってしまった。

けれども、高校の頃の私に大きな影響を与えた人には違いない。

彼は高校の冬休みが始まる前日に亡くなった。バンドの練習をした後に倒れて、そのまま亡くなったそうだ。彼の葬式に参列した時のことはよく覚えていないけれど、葬式の帰りに同級生が数人一緒になったので、駅前のスーパーで缶チューハイを買って、空き地でまわし飲みしたことは覚えている。ラッキーストライクを吹かしながら飲んだ缶チューハイの味は殆ど覚えていない。覚えていないけれども、不思議と哀しい気分になれない自分に違和感を憶えていたことだけは記憶がある。

 

私には十九の春が来た。田端義夫の唄うあの十九の春だ。

十九の春に私は受験を失敗して浪人生になった。正確には、北海道大学の文学部に合格したのだが、合格してみると文学部には全く興味が持てなく、仮面浪人したのだ。いや、それも正確ではないな。

実家を出たかったのだ、姉と父親の仲が悪いのもイヤだったし、親元に住んでいるのがイヤだった。私は、それまでも今までもずっと親には良い一面しか見せないようにしている。酒を飲んで暴れたり、女の子にイヤラシいことを迫ったり、タバコを吸ったり、そういう面は見せたことがない。普通のことだけど。その普通のことに嫌気がさしていた。どこか別の都会で、一人暮らしをしたかった。

だから、北大に行くのをやめ、浪人することにした。

それが十九の春である。

札幌駅前にある数件の予備校に父親と二人で足を運び、予備校を物色した。

結局、その中で、学費を5割引にしてやるという予備校があったので、そこに通うことにした。その日に父親が学費を振込み、私は独り予備校に残り説明会が始まるのを待った。

予備校の最上階に食堂と喫煙室があり、はじめは食堂でお茶でも飲んで待ってようと思ったが、食堂に座っていると小学校の優等生にでもなったような気分になったので、そういうのはハードボイルドじゃないので、結局喫煙室に入り、持っていたケントマイルドに火をつけた。

 

浪人が決まってから、私は何故かケントマイルドを吸うようになっていた。高校の頃は、同級生の共同購入で否応なしにみなマイルドセブンを吸っていた。高校2年生から転入だった私はそれまでずっとラッキーストライクを吸っていたのだが、お小遣いを出来るだけCDの購入に使いたく、共同購入のマイルドセブンに鞍替えした。それは誰かが万引きしてきていたのかもしれないし、奇特な共同購入者が沢山払ってくれていたのかはわからないが、割安だった。それに、通学時にタバコを必要以上に持ち歩かなくて良いので、親に喫煙が見つかるリスクも軽減してくれた。

 

高校を卒業すると同時に共同購入の恩恵に預かれなくなったので、私はとりあえず友人が吸っていたケントマイルドを買って吸っていた。ケントマイルドはうまくもまずくもなかった。そのうまくもまずくもないタバコは初めて訪れた予備校の喫煙所で吸う煙草にピッタリだった。

 

喫煙所に入ったら、2名先客がいた。その二人の場の馴染み方で、一目見て二浪以上だということが窺い知れた。二人の前では、私は新入りの下っ端なので、とりあえず控えめに喫煙所の端に座っていた。予備校の最上階には他に人もいなく、静まり返っていたが、その二人の話し声だけがカラリと響いていた。

 

ああ、こういう人たちと同じようになってはいけない。予備校なんて本当は私のいるべき場所ではないのだ、ここは単なる腰掛けに過ぎない。そもそも、私は選んでこの場所に来たのだ。ああいう人たちと仲良くなり、この喫煙所に馴染むようになってはいけない。そう思った。

そう思いながらも、予備校という場所に自分がいるその現実を受け入れることを拒んでいた。現役生時代に充分できることはやった、これからまた来年の受験に向けて勉強をするということがどうも受け入れがたかった。

 

そう思いながら、ケントマイルドを2本吸った。

 

それが私の十九の春の始まりだった。

続きはまた明日