記憶が消えてしまう前に②

予備校で「さん」付けで呼ばれる人は、2浪以上だ。

誰もが予備校に入った日にはもうそれが当たり前のことになる。

 

田中さん、テツさんも、私が予備校に入った日にはもうさん付けで呼ばれていた。そしてその日には私は彼らに「芳三郎」と呼ばれていた。それが全ての始まりだった。私の十九、二十歳の始まりだった。

 

その年の3月に私は高校を卒業した。一年遅れのそつぎょうだった。

 

高校は、中高一貫の男子校だった。教員も含め男ばかりの学校だったような気がする。とにかく、高校を卒業するまで、姉以外の女性とあうことは殆ど無かった。友人の彼女が、学校帰りのスクールバスの降り口で待っていて、一週間に一度程彼女達に会って、十分ばかり話しをした。日常的に会う女性は彼女達だけだった。

 

極たまに、彼女達の女友達が待っていた。女友達がいる時は、バス停の近くの公園で、タバコをふかしながら彼女達と一時間ばかり過ごした。そんな時はなるべく当たり障りのない話しをした。高校で毎日繰り広げられる会話は9割方下ネタだったから、彼女達と話す時は特別な注意が必要だった。それでも、時々つい下ネタが出てしまい、彼女達に白い目で見られることもあった。そのころはそれでも良かった。自分が、一人の女性と付き合うことなんか、夢のまた夢だった。だから、彼女達が自分をどう思っているかとても知りたかったけれど、何もわからなかった。

 

公園でその一時間を過ごす時は、常にタバコを吸い、精一杯背伸びをしていた。まるで、自分が今まで何人もの女性と付き合っているかのような雰囲気を醸し出そうとした。結局それは大体無駄に終わったのだが。それが女性との接し方のような気がしていた。

 

彼女達も男性については興味があったようだったが、男性と直接向き合うのに勇気を要しているようだった。僕らの股間にはおちんちんがあり、それが僕らの日常の多くを支配していることまでは知りたくないようだった。だから私も彼女達のイマジネーションに任せて、自分にもそうあろうとつとめた。それは、結局は大した意味のない悪あがきだったに違いないのだが。

 

そのような環境で高校時代を過ごした。

 

だから、予備校に入った日には、女の子が隣に座ることすら非日常だった。私はもちろんそれに興奮した。自分が同年代の女性に「君」付けで呼ばれるのも、新鮮だった。

 

けれども、女性になれていなかった私は、彼女達と話しをすることすらとても困難だった。彼女達と目を合わせて話せなかった。彼女達の髪の匂いがすることを自然に受け止められなかった。それは、非日常だった。女性とすれ違うときにほのかに感じる甘い香りに、つい気をとられてしまった。そのせいで、予備校に入ってから三ヶ月は、自分がここでどのように振る舞えば良いのか、そればかり考えていた。男子校ではそういうことは全く学ばなかった。

 

「佐々木君、今日授業終わった後どうするの?」と、初めて同年代の女性に言われたのは、予備校に入ってしばらくしてからだ。なんて答えていいかわからなかった。

 

「わからない、きめてない、けれども、きっと街をうろついてから帰る」と、やっと口から出た。その後何を話したかはわからないけれども、一分位彼女と話して、それでまっすぐ家に帰った。今なら、彼女をお茶に誘うことくらいできただろうが、それは叶わぬ夢だった。彼女が誰で、どんな顔をしていたかすら憶えていない。

 

そういう私の状況を一番最初に気づいてくれて、共感してくれたのが、田中さんとテツさんだった。