記憶が消えてしまう前に③

田中さんとテツさんは二人とも理系の浪人生だった。

 

予備校にいつ行ってもこの二人は最上階の喫煙室におり、その他の場所では殆ど見かけたことはなかった。もっとも、私は文系だったから、授業がひとつもかぶっていなかったことも関係しているのだが。しかし、私が喫煙室に行くときにはいつもこの二人がいた。

 

この二人と、初めて話した時の記憶は殆ど無い。ただ、憶えているのは、父親と予備校の入学案内を聞きにいったとき、父親が授業料を納め帰った後、私が喫煙室に入った時初めて会話したことは憶えている。おそらく、入学案内の内容についてだったと思うが、内容は憶えていない。

田中さんは小太りで19歳とは思えぬ程大人びており、25歳位に見えた。皆に「田中さん」と呼ばれ、ついに下の名前はわからずじまいだった。いつもクリーニングされたワイシャツを着て、清潔なチノパンかスラックスをはいており、一目見ただけで、金持ちの御曹司であることが窺い知れた。タバコはマイルドセブンを吸っており、腕を組んでゆっくり煙を吐き出すしぐさが、なおさら歳をとって見えた。普段話す内容も、社会情勢だとか、人生訓だとかで、まるでサラリーマンのようだった。医学部志望と聞いていたが、確かに成績は良かった。あんなにいつも喫煙室にいるのにいつ、勉強していたのだろう。

 

テツさんは、色黒で男前で、シャイで、やんちゃで、いつも携帯電話でメールを送っていた。皆から「テツさん」もしくは「テツ」と呼ばれており、ついに名字はわからずじまいだった。メールは、出会い系サイトで知り合った女性と交換しているらしく、喫煙所にいない時はパチスロに行っているかそれらの女性と会っていたらしい。出会い系のメールについての話しを、時々独り言のようにボソボソ話すだけで、殆ど無口だった。

 

初めて彼ら二人にあった頃は、なぜこうも違う二人がいつも一緒にいるのかわからなかった。二人の共通点は、理系で2浪目ということだけだった。そしてそれは、その一年が終わるまでずっとそうだった。

 

予備校の入学案内の日に二人と言葉を交わしてから、喫煙室で会う度に一言二言言葉を交わすようになった。はじめは私と彼らはあまり親しいというような関係ではなかったが、入学案内の日には既に私は二人に「芳三郎」と名前で呼ばれていた。それは、馴れ馴れしいという感じではなく、私が浪人生としてのその予備校での生活を始めることを歓迎しているような響きだった。

 

予備校生活へ、ようこそ。

 

数日して予備校の授業が始まるようになると、喫煙室で田中さん、テツさん以外の人たちと一緒になることはあったが、はじめの頃は殆ど言葉は交わさなかった。だから、他の人たちが出て行き、田中さん、テツさんと私だけになると、何となくくつろげるような気分になった。

 

相変わらず、田中さんはテツさんを相手に、持っている新聞記事についてだとか、社会情勢について話し、テツさんは黙ってメールをうちながら相づちだけを返していた。

 

札幌の予備校というところはそういう場所だった。全道から高校を卒業し浪人したことだけが共通点の知らない人が集まり、1年間を過ごす。志望校も興味関心もバラバラで、育ってきた環境もバラバラ、中には医学部を志望する20代後半の予備校生もいた。だから、基本的には話しは噛み合ない。志望校によってとっている授業もバラバラだ。

 

話しは噛み合ないけれども、浪人生で同じ境遇であること、受験に失敗したという同じ傷を負っていることをお互いに知っているので、他人同士でも自然とお互いに優しさを感じた。

 

私たちは

 

「お互い頑張ろうな」とか、「来年の春にはみんな合格しよう」とかそういうことは絶対に口にしなかった。そんな薄ら寒いことはアホくさくて口にできない。

 

受験は頑張ったからといって必ず報われることはなく、ただ恐怖と焦りだけがある。そして、これから過ごす1年間の浪人生活という暗いものに既にうんざりしているのだ。だから、誰も受験については話さなかった。ただごくたまに、お互いに噛み合ない世間話をボソボソとしながら、タバコの煙の行方を目で追うくらいしかできなかった。そしてそれが、お互いへの一番の優しさだった。

 

そうやって、喫煙室で一緒になっては、噛み合ない話しをして、最初の一ヶ月は過ぎた。

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コメント: 1
  • #1

    精力剤 (火曜日, 05 5月 2015 20:05)

    「ほら、顔、こっち向けて見せて?」