記憶が消えてしまう前に⑤

予備校に通いだしてから、すぐに友達ができたわけではない。

 

田中さんとテツさんとは、喫煙室で会う度に二言、三言言葉を交わすようになったが、友人という間柄になるまでは随分と時間を要した。随分、と言っても、19の頃の随分は、33になった今の随分よりも随分短期間ではあるのだけれど。けれども、私にとって予備校での一年は生涯でもっとも長い一年の一つだから、2〜3ヶ月は随分長い時間である。時間とは相対的なものなのだ。

 

19の春の私の相棒は、ちょっとオカマっぽい大庭君だった。

「ねえ、ヨシサブロさん、またその鳥のおもちゃで遊んでるんですか?飽きないんですか?」

 

「大庭君、ぼくはね、このチュンで遊んでると気持ちが落ち着くんだよ、まあ、なんていうか・・・」

 

「ヨシサブロさん、いい歳してそんなもんで遊ぶの変ですよ」と大庭君、

 

「放っといてくれ、大庭君こそオカマくさいじゃないか」

 

僕らは高校で同じクラスで、何度か言葉を交わしたことはあったが、今憶えているのは上記の会話だけだ。高校の頃は席もまあまあ遠くて、お互いわざわざ会話をしようとは思わなかった。私は高校2年から転入だったので、クラスにまだいまいち馴染んでいなかったし、大庭君は学校の成績はよく、運動神経も良いのだが、素行がオカマくさいという理由で皆から距離をおかれていた。

 

しかし、予備校に通うようになると、同じ「文系進学コース」に大庭君の姿もあったので、成り行きで、私たちはよく話しをするようになった。それでも、はじめの頃は高校でオカマくさいマイナーキャラだった大庭君と馴れ馴れしく話していることに若干の違和感も憶えていた。彼はタバコも吸わなかったので、休み時間の度に喫煙所に行く私とは行動パターンも異なっていた。

 

しかし、高校の同級は同級である。お互いに唯一の知り合い同士妙な親しみを感じていた。

 

或る日、気がついたのだが、大庭君はわりと女の子から気軽に声をかけられていそうなのだ。かれはそれほど冴えない風体で、おまけに言葉遣いやしぐさがちょっとだけオカマくさいのだが、女の子連中にはそんなかれのキャラクターが話しかけやすくて親しみやすいようだ。

 

大庭と親しくすることはヒップなことなんだ。

 

私は少しづつそう思うようになった。それと前後して、毎日昼食を大庭君と一緒に食べにいくようになった。予備校は札幌駅前にあったので、駅に併設されているレストラン街で毎日ランチを食べていたのである。もっとも、予備校生の身分なので、それほど立派な昼食は食べれない。だから、毎日うどん屋か、そば屋か、定食屋で食べていたのだが、それでも、お金がないときにはパン屋でパンを買って食べていた。そうやって、予備校の昼休みを、毎日のように大庭君と二人で過ごした。

 

大庭君も話してみると、案外まともな野郎だった。親に心配をかけたくない、とか、弟も進学を希望しているので、負担になりたくない。とか、そんなつまらんことを話しながら昼休みを過ごした。時々、大庭君が女の子にノートを貸したり、授業の内容を教えていたりする時は、私は一人で昼休みを過ごしたが。一人になると、時間を持て余し、ああ、大庭君がいるだけでも随分マシなんだな、と思うようになった。

 

或る日、昼休みに大庭君と一緒に蕎麦をすすりながら話していると、予備校に着てくる私服がないという話しになった。高校3年間はずっと毎日制服をきていたので、大庭君も私も、私服は殆ど持っていなかった。だから私は姉からのお下がりなんかを着ていたのだけれども、それでも2着や3着程で、毎日それの繰り返しだった。大庭君も、弟の服を着てきているらしい。

 

「ヨシサブロさん、今日の予備校終わったら大通りに服選びにいこう?」

 

とナヨナヨした口調で大庭君が言うので、

「うん、行こう」ということになった。

 

予備校の4時限目が終わり、4時過ぎ頃、私たち二人は大通りの「アルシュ」というテナントビルの最上階にあった古着屋に行った。古着屋へは何度か来たことがあるが、自分の服を買うのは初めてだった。

 

大庭君と私とで、交互に試着室に入って

「これ、どうだろうね?」とか「ヨシサブロさんこれどお?」なんていいながらお互いの服にああでもないこうでもないと言いながら服を選んだ。

 

結局、二人ともTシャツやシャツを2、3枚買って、1,500円程だったと思う。なかなか、今日は良い買い物をしたな、と思って帰宅した。

 

その後、気づくとほぼ毎週のように大庭君と古着屋へ行っては服を選んだ。何枚かシャツやズボンを買ったこともあったし、何も買わなかった時もあった。お互いの服に、ああでもないこうでもないとケチを付けるのは、浪人生にとってとてもいい気晴らしだったし、他の同級生が皆進学し、街に二人だけ残された私たちは、一致団結して今を生きるしかない。と思っていた。

 

ただ、その頃困ったのは、大庭君がたまに変な服を着たがることだった。今考えると、ユニセックスというか、フェミニンというべきなのか、そういう方向性だったのかもしれないが、大庭君はたまにレディースのぴちぴちのTシャツとか、「明らかにそれスカートだろ」というような服を試着することがあった。べつに、そういう趣味は否定しないが、彼の冴えない風体と、若白髪を青色に染めた頭髪と、ヒゲのそり跡が青々している見た目と、彼の選ぶ服は全く調和というものからかけ離れたとこにあった。

 

「大庭君、その服格好悪くはないけど、やっぱりやめた方が良いよ、サイズあわないよ」とか、「さっきのやつの方が良いよ」と私がコメントすると彼はわりとおとなしく、私のアドバイスに従うのだ。

 

あの頃は、あれで良かったのか、それとも彼の趣味を否定しない方が良かったのか、今でもよくわからない。