Nelson's barでもう一度

人生は短いし、筆無精な私は、明日からもきちっとこのブログを続けていけるかはわからない。書きたくなくなったらやめてしまうかもしれないし、今夜だって、何から書いて良いかわからなくて、困っていたのだ。今夜は書くのやめようかと。

 

昨日の続きが、どうも思いだせない。何を次ぎに書いて良いかわからない。だから今夜はちょっとお休みして、もっと最近のことについて書く。最近のことだが、私の体調がとても悪かった時期のことなので、どこまでが記憶で、どこまでが創作かわからない。わからないし、事実をそのまま書いてしまうと、とても夢のない話しになることは請け合いだ。夢のない話しもこの世には必要なんだけれど。

 

だから、夢のない、儚い夢のような話しを読みたい方はお付き合いください。

雨が降っている、六本木の交差点で待ち合わせをする人たちは沢山いるが、皆これから何をしにいくのだろう?金曜日の夜とはいえ、あいにくの天気だし、こんな日はさっさと帰宅してしまえば良いのに。六本木だから、まさかこれからピクニックに行くわけではないだろうけれども、月末の金曜日なんて、きっとどの店もいっぱいだろうし、ガラガラの店があったら、そこはきっとろくな店じゃない。だから、こんなにたくさんの人たちがこの交差点で待ち合わせをしているのはなんだか滑稽で、哀しくもある。

 

「待ちましたか?すみません」

彼女は丁度7時をまわる頃に日比谷線の出口を上ってきた。

 

「いや、私も丁度仕事が終わって、着いたところだよ、あいにく雨だね」

それだけ手短かに言うと彼女を連れて、いつものライブバーに向かった。

 

金曜の夜に彼女に会うのはいつも嬉しいのだが、だからって金曜日に特別お洒落してきたりはしていない。会社はカジュアルフライデーとかを推奨しているというふれこみだが,それを提唱している人事部の部員が皆スーツにネクタイなので、私もさえないバーズアイの背広にオヤジくさい好きでもない柄のネクタイという姿だ。そういう私も、人事部員の一人なのだが。だから、傘もビニール傘だし、彼女もビニール傘だ。

 

「ホントはもっと可愛い傘欲しいんですけどね、黒地に水玉とか、今度探しにいこうかな」

 

確かに彼女には黒地に水玉のちょっとメルヘンチックな傘はよく似合うと思う。彼女はスカートははかないし、サスペンダーとか、いつもアニーホールのダイアンキートンみたいな格好をしている、そして帽子をかぶっている。黒い帽子を。形はまちまちだが。そんな彼女のファッションに、黒い水玉の傘はちぐはぐな感じもするが、逆によく似合うだろうとも思う。私も、ビニール傘ではなくて、女性に会うときにも恥ずかしくない傘が欲しいが、かといって、わざわざそれを買いにいこうとも思わない。結婚したばかりだからといっても、それほど金に困っているわけでもないし、かといって洒落た傘をわざわざ買う程の金の余裕があるワケでもない。

 

そんなわけで、傘について話しながら、いつものライブバーの扉を開けた。妻と店に入る時に、扉を開けてあげて、妻を先に通すことなんて殆ど無いのに、男というものはこういうところが不思議なもんで、彼女といる時はいつも私が扉を開けて、彼女を先に通す。そういえば、以前彼女が

「イギリスのおじさん達も、佐々木さんみたいにドアを開けてくれるんですよね。知らない人でも」

って言っていた。私も随分昔のことだが、一応オーストラリア帰りである。ほぼ、「イギリスのおじさん」のマナーは押さえている。

 

「そういえば、鼻をかむ時もみんな佐々木さんみたいにハンカチでかむ」

私のそんなところに親しみを感じると、一度彼女が口にしたことがある。

 

店は、ガラガラというわけではなかったが、満席でもなかった。丁度ステージの最前列に二人で並んで座れる席があったので、店の人に言ってそこに通してもらう。いつもよりも、ちょっと良い席に座れたのは雨のせいだろうか。こういう雨なら悪くない。

 

スパークリングワインを二人分頼み、簡単な食べ物も頼む。彼女も私もお酒を飲む時は殆ど食べないのだ。

「私、ゆうがた、家で食べてきたんです。」

と、決まり文句のように彼女が言う。きっと、私の出費がかさまないように気を遣ってくれているのだろうけれども、私は、素直にそれに甘える。私は、どうせ大して食べない。

 

スパークリングワインが届くとすぐにファーストステージが始まる。この店は7時20分にファーストステージが始まるのだ。いつも通り、ビートルズの曲が何曲か演奏される、その間に私はもう一杯ビールをもらい、彼女はスプモーニを頼む。スプモーニって未だになんなのかわからない。おそらく彼女も何も考えないで、それを頼んでるんだろう。

 

セカンドステージが終わることには、私はビールからバーボンのロックに切り替えている。先週か、先々週か、この店にボトルを入れたのだ。キャンペーンのはがきを持って行って確か5000円だった。

 

バンドが曲を演奏している間は私たちはあまり言葉を交わさない。ビートルズのレパートリーがそれほど好きなわけでもないが、あまり話すべき話題も見当たらない。毎週のように逢っていると、話すべき話題はほぼ話し尽くしている。だから殆ど話さない。

 

セカンドステージが終わって、店の灯りが明るくなると、彼女があくびをしながら伸びをしている。彼女は美人の類いではないが、お酒に顔を赤らめ伸びをしている姿は愛らしい。私は彼女のそんな姿を見るのが好きだ。そのために毎週こうして二人でライブバーに来るのかもしれない。

 

「どこか、外に出ようか、飲み直せるようなところで」

私から切り出すと、彼女も頷く。

 

店を出て六本木の街を歩く、何度か入ったことのある店が数件あるのだが、あいにく今夜はどこもいっぱいだ。

「面倒だから、銀座に行こうよ、銀座のネルソンズでも行こう」

彼女も小さく頷く。

 

銀座に出たなら彼女を早く帰さなければいけない、彼女は恵比寿のあたりで実家暮らしをしている、六本木や渋谷なら歩いて帰れるらしいが、銀座に出たら彼女はいつも地下鉄で帰る。何度か、電車がなくなりタクシーで帰したこともあったが、彼女はかたくなにタクシー代を受け取らなかった。未婚の女性を送らずに帰らせるのだから、と思い、運転手に直接彼女の家まで位の金額を渡した。

 

店を探すうち六本木駅から遠くなってしまって、雨もふっているので、二人でタクシーに乗る。二人とも、無言。こうして毎週のように彼女と飲み歩くようになって一年ぐらいたつだろうか、いや、おそらく半年も経っていないだろう。その年の四月に私が結婚した頃から、彼女と逢うようになったので、5ヶ月程か。彼女と、随分頻繁に逢っているので、今更、白々しい話題もふれないし、彼女も私の話しの相手をするより、酔い覚ましついでに窓の外を流れる街を見ている方が良いかもしれない。

 

20分程してネルソンズの前で降りる。ネルソンズに入る。ここはいつも混んではいるが、必ず席は見つかる。三回の屋根裏の席につき、バーボンのロックをもらう。彼女も同じものをもらう。無言でグラスを傾ける。無言をこわすのが怖くて、食べ物を頼むタイミングがつかめない。何か、話した方が良いか、無言も変だし。

 

「いま、好きな子いるの?」

女の子と二人でいるときに切り出す話題としては唐突すぎる話題である。けれども、何か話さないとと思っていて、出鱈目に出てきた言葉はこの言葉だった。

 

「佐々木さんはいるんですか?」

 

「俺? 俺は、嫁さんかな」

 

「そうでしたね」

 

「亜希ちゃんは?」亜希ちゃんが彼女の名前である。

 

「私は、なかなかむつかしいな、なんていうか、好きなのかどうなのかわからない人が三人いて、そのうち一人は私のことも好きみたいなんですけど」

 

余計なことを聞かなければ良かった。私はわりと嫉妬深い方なのだ。彼女の好きな男の話しなんて聞きたくはない。

「そうなんだ、じゃあその男と付き合えば良いじゃない」と精一杯素っ気なく言ってみる。

そして「そんな野郎よりも、俺の方が良い男だろうけどさ」と嫉妬と、照れ隠しに付け加える。

 

そのまま二人黙ってネルソンズで二杯程飲んで店を出た。

 

和光と天賞堂の前あたりまで歩く。通りまでいったん出て、地下鉄の入り口に入ろうかと思うが、思い返して、彼女の手を引っぱり、天賞堂と和光の間の路地に戻る。ここの路地はとても狭いのだが、かつては洒落たバーがあったのだ。バーがしまって、ただのボロボロのバラックのようになっているところは、丁度街灯があたらずに、真っ暗になっている。そこで、彼女の身体を壁に寄せる。ため息をつくように、彼女が私の唇を受け入れる。ほんとうに、ため息のような、諦めのような、すすり泣きのような短いキスを。

 

それからもう一度通りまで戻って、地下鉄の入り口の階段を二人で降りる。彼女の腰に、そっと手を回しながら降りる。

 

一番下の階段まで降りたら、小さな声で「じゃあね、気をつけて」といって彼女から手を離した。

 

 

それが、彼女とは最後の夜になると知らない私が、地下鉄に乗る。地下鉄の席に座り「彼女は、きっと俺に惚れてるな」とぼんやりと考える。伸びをする彼女の姿を反芻しながら家路につく。

 

それ以来、彼女と飲みにいくことはなかった。彼女と暫く連絡が取れなくなり、私も体調を崩し、金曜の夜に出歩かなくなった。彼女と逢っている時も、逢わなくなっても、妻との関係は変らなかったし、仕事も変らなかった。

 

ただ、それ以来私は大きな何かを失った。正確に言うと、本当に彼女を失ったのではない。私が彼女に求めていたもので、彼女がそれに応えていたものがあった、そして、彼女に求めても手に入らなかったものもあった。そのどちらとも区別がつかないものを、「失った」と感じ、今でも時々それを誰かに求める。あの頃、それが手に入っていたかどうかはだんだん忘れつつある。