世田谷のえんま様

世田谷区は恐ろしいところで、私の住んでいたボロアパートの一階の部屋の下にはまだ部屋があって、そこには、いつもボロボロの服を着て、ボロボロのサンダルを履いた老人が住んでいた。そのアパートと道を挟んで向かい側は立派な塀に囲まれた高級分譲マンションがたっていた。

道路のボロアパートの並びは、同様のボロ屋が連なり、高級分譲マンションの側にはマンションとサミットという小綺麗なスーパーがあった。

貧乏だった私たち夫婦は、時折そのサミットのお惣菜が安くなる時間に買い物をしたが、大抵は食うや食わずの生活を送っていたので、コンビニか駅の近くの安売りスーパーか100均で食べ物を買っていた。

アパートの横にはゴミ捨て場があって、みんな同じ安売りスーパーで買い物をしているらしく、同じスーパーの袋に入れられたゴミが汚く雑に棄てられていた。

一方、高級分譲マンションの方には鍵のついた柵に囲まれたゴミ捨て場があって、売り物のゴミ袋に入ったゴミが、指定の日の朝だけ、綺麗にまとめられていた。

貧富の差はゴミ袋にまで現れ、貧しい者はゴミの捨て方も汚くなるということを知った。そして、住人が少ないはずのボロアパートの側の方が、いつもゴミが多かった。ゴミの中身はコンビニ弁当の空が大半だった。

私が無職になってからは、毎日家でゴロゴロしていたので、ゴミの観察が日課になった。ゴミの観察はつまらなかった。

ある日、ボロアパート側の並びの工事現場で男が頭から血を流して倒れていた。現場の作業員のようだった。珍しいのでしばらく観察していたが、男は全く動かなかった。

数日後に工事現場の作業が中止されて、現場に花が置いてあった。私は無感動に写真を撮ってみた。写真を撮っていると、こんな生活をやめたいと思った。

芦花公園までトランペットを背負い自転車で行った。デタラメに吹いてみたが、全然音が出なかった。

貧乏人は音楽をやっても、やはり貧しい音しか出ないと思った。それでも、その後半年以上その貧乏暮らしが続いた。クソみたいに辛かった。