私の両親はキリスト教徒である。
母は真面目にカトリックを信仰しているらしく、中高ミッション系の女子校、引退後は毎週末教会に通っている。
父は、プロテスタントとしてアメリカで洗礼を受けたらしい。本当かどうかは不明。ただ、20代の頃ボストンに留学していたから本当なのかもしれない。MIT(マタチューゼツ工科大学か?)の先生は敬虔なクリスチャンが多いそうだと聞いた。
それで、私も小学校に上がってしばらくは、母の教会に行ったりしていた。父もその教会に来ていて、一緒にお祈りしたりしていたから、まあ、日本のカトリック教会はゆるいんだな。異教徒でも受け入れてくれる。
もっとも、教会に行っていたとは言っても、イースターとクリスマスぐらいで、普通の時は日曜も両親は仕事をしていたからほとんど行かなかった。だから、正確には、教会に「通った」ことはない。イースターとクリスマスだけ。
イースターとクリスマスの時礼拝が終わると、パーティーみたいのがあって、みんなでおかし食べたりする。卵もらったりする。そして、母の学校の先生とか同級生だったシスターとかに挨拶する。それが目当てで行っていたと言っても過言じゃない。あと、たまに神父さんとマンツーマンで喋ったりしていた。プロテスタントのはずのうちの父も、神父さんと喋ったりしていた。堅物だったオヤジも神父さんのことは、牧師とか呼ばんでちゃんと神父さんと呼んでた。(The Simpsans)
それで、いつだったか小学校に上がってから家族旅行で函館に行った時も、函館の偉い神父さんに会いに行ったりした。偉い神父さんっていう人は、案外若くて、親父と同じぐらいの歳だった。小学生だった私も父と二人で神父さんの話を聞いた。母は、なんか教会の違う人とアポ取ってたみたいで、そっちの方に行っていた。
神父さんの部屋に通され、紅茶とクッキーを出してもらい色々話した。アメリカ的な社会においてキリスト教は社会ツールであるとか、ユダヤ教、ユダヤ人との勢力争い、とまではいかんかもしれんが、ユダヤ人社会との差別化のために存在する。ユダヤ人(勝ち組、利権団体)に対し、キリスト教徒は愚かなる善人としての存在証明なんじゃないかとか。黒人差別の道具にもなり、差別撲滅の道具にもなったアメリカのキリスト教についてだとか、アメリカにおけるセックスとは何かとか、そういう話だったのは覚えている。何でそんなガキの頃にそんな話を聞いて話の概要がわかったかというと、その神父さんの話が上手かったからだ。
そういうこともあって、私自身はほとんど聖書を読んだことはないのだが、キリスト教の教えは何となくわかる気がする。あと、高校時代は遠藤周作ばっかり読んでいたし、学生時代に社会思想やなんかの講義に2回ぐらい出た時に何度も聖書の抜粋が出てきたからだいたいの概要はわかる。あと、ベンハーも全部見たからな。ベンハー見たら十分。
それで何だっけ、
あそうそう、私のベースはキリスト教的な考えがあるんだよね。母ちゃんに一時期毎晩お祈りさせられたりしたし。
でも、私が大人になって、じいちゃん死んだときぐらいから、うちの一家は一応浄土宗の檀家ってことになった。だから、俺は個人的にはジョードシューなんだよ。ヘイ、ジュード、ヘイ。ジョードみたいな感じ。
だからこそ今、もう一度聖書っつうものをちゃんと読まなきゃなって思う。ベンハー観直すよりそっちの方がよく理解できると思うね。
それで、聖書を書き直してるのです。マタイによる福音書とか、ルカによる福音書とかに変わる、よりぬきダイジェスト版聖書を書かねばならん。と思ってる。
題しておマタイ福音長〜いゃ〜ん
まず、キリストっていうのがどういう人かから始めよう。
っていうか、まあ新約聖書っていうのは始めっから最後まで、そういう話ばかりチラホラ入ってきてるので、大事なポイントなんだよね。
ではまず、処女マリア。これいい響きだよね、「処女マリヤ」って書いたらもう単なる AVのタイトルだもんね。処女マリアっていうのはあくまでもキリストを産んだ時点で処女マリアってだけの話で、ヨゼフとの間にキリスト以外に子供いなかったのか、っていうと諸説ある。ヤコブっていう弟いるじゃねえか?とか、いや、そもそも種違いの兄貴っていうのもいるんじゃねえのかとか言われてる。言いたい奴には言わせておけ。
まあだから、とにかくイエスっていうのは一応ヨゼフとマリアの長男スジだってことにしておこうか。これが一番説明がしやすい。キリストっていう人間の(人間の形をした神の子の)説明がしやすい。
大工ヨゼフの長男坊、イエスは若い頃野山を駆け巡ってばっかりいたんだよ。大工の倅、それも長男坊だっつうのにその時代だったら100パー大工の仕事の修行しなくちゃならんのに。まあ、悪いことはせんかったと思うけど(むしろボランティア活動してたってのが通説よ)、そこらじゅうを愚連隊引き連れたりしてプラプラプラぷらしてたのよ。そんで、多分弟さんのヤコブは真面目な奴だって聞いてたけど、サマリア人呼ばわれされてたヨゼフの連れ子の兄貴はいっつも裏山でタバコや葉っぱばっかり吸ってたんだよ。
イエスはそのサマリア人呼ばわれされてた兄貴に何度か山であってるんだよね。まあ、イエスと一緒に住んだことはないから兄貴だってことは知らないんだけど、どうもこいつ腹チゲーの兄貴っぽいなってことはわかってた。でも、兄貴村の人に差別ばっかりされてたからグレちゃってて、盗み、強盗、強姦、強制わいせつ、薬、そんな感じの兄貴だったから、イエスも「あんなのは俺の兄貴じゃねーよ」「俺はヨゼフとチー繋がってないからね」なんて言ってた。いくら血が繋がってなくたって戸籍上は血縁関係だわな。いや、この時代戸籍ないからわからんけど。でもジューミンヒョーは離れてても、戸籍上は。
まあいいや。
それで、「俺、家族とか、そういうのカンケーねーから」。「俺キョーダイとかカンケーねーし」「そもそも人類皆兄弟、お前と俺は穴キョーダイ」っていっつも言ってた。
それが顕著になったのは、後年マリア母ちゃんと、兄弟(っていうか、多分弟子)たちとカナって街に結婚式に参列しに行った時のこと。カナっていうと、東京の川崎みたいなところで、貧乏な人たちも多かった。でも一応区民会館ていうか、川崎は市そのものが金持ちだから市の施設の結婚式場があったのよ。すげー立派だぜ。都民共済で使える高田馬場の結婚式場なんかよりずっと立派。なんたって、市民ミュージアム併設なんだよ。その、カナって街は。
でも、悲しいかな(うわー、駄洒落)カナの友達ビンボーだから、結婚祝うぶどう酒が準備できなかった。
そこで、マリア母ちゃんがキリストに言ったんだよ。キリストも、もう二十歳超えたからマリア様も息子だったらある程度稼いでて金に余裕あんだと思ってたフシがあってね。
「あんた、酒屋でなんか買ってきてやんなさいよ。かわいそうじゃない。あんた」
そしたら、キリストなんて答えたと思う?
「なんで、俺が買ってこなきゃいけねんだよ?」
「第一、お前に指図される筋合いねーし。」
「だいたい、マリアのおばちゃん俺の知り合いでもねーし」
って言ったんだよ。
これ、本当に聖書に書いてあるからね。ルカの福音書に書いてあるからね。
これこそ、キリストを理解する最初のステップなんだよ。
キリストは、自分を産んだっていう肉親の母ちゃんですら他人扱い。弟さんたちは一応マリアとヨゼフの子供だけど、自分は神の子ってことでみんなに扱われてて、どうやら親父は弟さんたちとは違うんだな、とか常日頃考えてたの。親父のヨゼフは割と若いうちに死んじゃって、家貧乏だったし、なんで、あいつらはマトモに働いてて稼いでんのに、俺はこんなボランティア活動ばっかりさせられてんだろ?とか思ってたのかもしれんし、逆に、
俺が常日頃人のために頑張ってんのに、マリアやら親戚一同はロクな奴いねえ。まあ、仕方無えか、貧しいってこういうもんかもしれんしな。俺は俺で頑張って俺がすべきことやってくしかねえんだろな。
とか思ってたのかもしれない。
それで、家族っていうパラダイムを捨てて、社会っていうものに独りで、たった独りで立ち向かうことにしたんだ。
もーもタロさん、モモタロさん。に似てるだろ?
このモモタロさんのすげーとこは、もう二十歳にして犬やらキジやら連れてんだよ。いっちょまえの経営者みたいになってるんだよ。
今日はここまでね。
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