力になりたいと思うときに限って何も力になれないこと

齢36にもなると人前で涙を流すことはなかなかできない。

36の男が涙を流している姿を誰も見たくないからだ。

 

しかし、入院中に一度人前で涙を流してしまった。悔し涙であるが。悔しくて悔しくて仕方なかった。俺は今まで何をやってきたんだ。今まで何も積み重ねてこなかったのか、

なぜかそんなことを思った。本当はそれ以前に自分の生活をなんとかせねばならんのだが。

かなこちゃんの話は前回の記事で書いた。彼女の話はあの病棟にいた我々の全てが多かれ少なかれ共有している辛さである。病気で失ったもの、もう帰ってこないもの、もう手に入らないもの。それを目の当たりにした時、自分自身の事を棚に上げて彼女の話がコツンと胸に響いた。

 

病気で夫と子供二人を失ったかなこちゃん。

 

私、もう誰からも退院して欲しいとか、治って欲しいとか思われていないんです。誰も私を必要でないし、両親だって私に広島に戻ってきて欲しいというのはお見舞いやら手続きが東京だと面倒だからってだけで、別に私に退院して欲しいと思っているわけじゃないんです。

あー、もう家族持つなんて無理ですね。こんな風になちゃったから。

私は退院したいと思いますよ。また働いて自分の生活したいし。でも、きっと良くはならないんです。またすぐにこうやって病院に戻ってくる。

 

私はとっさに

 

かなこちゃんはまだ28なんだし、俺結婚したの26ぐらいだったし初めて子供出来たの34の時だし、まだやり直せるよ。だから焦んないで、バッチリ治して社会に戻ろううよ。バッチリ治んなくたって娑婆で何とか生活していければいいわけだし、それは君が望めばきっと何とかなるよ。

君、そんな見た目だって悪いわけじゃないし、それに、みんなに愛されると思うよ。現にここにいるおっさんたちはみんな君に優しくしてると思うし。きっと大丈夫だよ。

 

と言ったけど言葉が詰まっちゃった。

かなこちゃんは、小さい声で

 

男の人ってやっぱり子どもほしがりますよね、

 

と小さく呟いた。

俺は、なんて無責任なこと言っちゃったんだろう。無責任で無神経なこと。彼女の心の闇なんて何にもわかっちゃいないんだ。 

 

ごめん、俺は君に何の力にもなれなくて。

力になれるもんだったら、なりたいけど

 

そして、つい瞼から一粒涙が溢れて、とっさにどこかかなこちゃんに見えない方を向いた。

俺はまず自分のことをどうかしないといけないんだ、本当は。まず、自分と家族のこと何とかしないと。このままじゃ戻れなくなる。それができたとしても、やっぱり君の力にはなれないんだ。力になれること、何もない。特別な技術は持ってないし、絵も描けないし、歌もそんなに得意じゃない。ジャグリングは勿論、声帯模写だってできない。江戸家猫八にはなれない。

 

するとかなこちゃんにはすぐにバレたみたいで。

 

佐々木さん、泣かないでください。

素敵ですね、優しくて。

 

と呟いた。

私は、泣いているわけじゃない。ただ目にゴミが入ってと言い訳しようかと思ったけれども、結局何もせず、彼女に言った。

 

俺は素敵なんじゃない。

弱くて、無力なだけだ。こういう男を素敵だと思ってはいけないよ。どうせ大したやつじゃない。そのうち苦労を背負わされる。

素敵っていうのは君の力になれる奴のことだ。

 

彼女は、曖昧に遠い目で周りを見て何度か椅子の手すりに手をかけて何度か立ち上がろうか躊躇するようなことをした。これは彼女の癖なんだ。

 

彼女の力にはなれなかったけれど、勝手ながら彼女の力になれる人が彼女の周りに何人も現れることを祈っている。今でも祈っている。

あそこから出てきたもののおごりだと言われても俺は構わん。

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コメント: 1
  • #1

    Yoshisaburo (水曜日, 24 8月 2016 18:01)

    ひとは、行き詰った時に、本心ではないことも口にしてしまう。
    それは、僕もかなこちゃんも一緒なんだと思う。