あなたならできる、なんて言葉いつも真に受けなくたっていい。私にできないことがあっても構わない。

私は自己顕示欲の塊です、(本文とは関係ありません)
私は自己顕示欲の塊です、(本文とは関係ありません)

今日、かなこちゃんから電話があった。

使いさしのテレホンカードを退院の時に彼女にあげた時、カードの裏にちゃっかり書いておいた私の電話番号にかけてくれたのだ。

 

彼女は、晴れて地元広島の病院に転院できたらしい。彼女を待っているものは決して彼女にとってのパラダイスではなかったとしても、以前からの望みがひとつ叶ったんだ。いいことだろう。

 

今日はかなこちゃんと自分におくるひとつの考え方の話。

入院していて気づいた、今までの私の無責任で無神経な言動の数々。

その中の一つ。

 

大丈夫、きっと君ならできるよ。

 

とか、何度言っただろうか?

入院中のかなこちゃんにも言ってしまったろうか?

 

お前、じゃあできなかった時、

努力して努力して、すべてをかけて努力してもできなかった時、

責任持てるのか?

 

それに、私は何でもできなきゃいけないのか?

 

そりゃ、時々は背中を押してあげることも必要だし、自分のためにエゴイズムでそんなことをする時だってある。けれども、それはいつでも使えるフレーズじゃないだろう。それは本来、切り札にとっておくべきフレーズだったり、怒りを婉曲に表現するためのフレーズなんじゃないかな。あなたにぜひやってほしい!とか、何でそんなことすらやろうとしないんだよ!っていう意味のフレーズだと思う。あと、もしかしたら相手が子供だったら我々大人よりも背中を押してあげる機会は多いかもしれない。だから、子供相手には大人相手よりも使っていい機会はもしかしたら多いかもしれない。

けど、あなたならきっとできるって、

 

ほら、勇気を持ってやってみれよ。

 

っていう意味のフレーズなんだよ。

大人がいい大人においそれと使うような言葉じゃないでしょう?

だって、もし相手がそれをできなかった時、

 

そんなこともできないの?

 

って言っているような言葉なんだよ。

それって、大人が大人に使っていいような礼儀のいい言葉じゃない。

 

かなこちゃんだって一生懸命戦っているんだ。もちろん俺だって。

いや、戦ってはいないかもしれん。そう、嫌っているのかも、自分を、嫌な部分の自分を。自分のせいではないのに背負ってしまった自分。ふとしたきっかけでハマってしまった沼。もしかしたらそもそも自分に責任があるかもしれないし。その時その時の気まぐれな感情や、病気のせいで冒してしまった間違え。

これからは、そんなものを背負って生きていくんだ。私たちの新天地で。

私は今日から復職した仕事場、かなこちゃんは新しい病院で。そしてそのあと僕らは散り散りにどこかへ向かって飛び立っていくのか、それとも今の場所に留まるのか。今の場所でずっとくすぶっていくかもしれない。

自分自身をいい方向に持っていけるのは、結局自分の観念を変えていって、いろんな失敗を重ねたり、人の失敗から学んで行動を変えたり。それしかないのだから。

 

かなこちゃんは、今日の電話で気にしていた

 

ブスが肥って、もっとブスになっていく。

薬のせいなのか、甘いものが食べたくて食べたくて太っていく。

 

僕の口からつい出そうになった。

 

君なら大丈夫だよ。

 

私にそんな気休めを言われても彼女の悩みは癒えないかもしれないな。本当に彼女なら大丈夫だって思うんだけれど、根拠がないからな。だから言わん方がいい。

自分が同じ立場の時何を言ってあげれるだろう。どんな風に彼女の力になれるだろう?

私には言葉しか、手段(武器?)はない。

似顔絵だって書けないし、歌だってそんなに得意じゃない。ましてやジャグリングやら声帯模写もできない。江戸家猫八にはなれない。

 

彼女がこれを読むことは恐らくないけれど、私の正直な気持ちを書こう。

 

ブスが肥ってもっとブスにるって?

かなこちゃんは今全然ブスじゃないし、太ったって、あと15キロぐらいならその可愛さはなんら変わらないと思う。少なくとも8つも年上のおっさんの私の目からは。

それはなぜかって、かなこちゃんの魅力は容姿だけじゃないし、椅子の肘掛を擦りながら立ち上がろうかどうしようか躊躇する癖も、病気のせいなのかなんなのか、突拍子もないこと悩む姿も可愛らしいと思う。

 

だから、きっと私みたいにあなたのことを慕う人たち(おっさん達)はこれからもたくさんいるだろうし、きっとその中には君の力になってくれるひともいるし、もしかしたら君と一緒の人生を過ごせるパートナーも出てくるかもしれない。

 

病院のホールで、君の横で一緒にぼーっとして君の28歳の夏の横をスーッとすり抜けただけのおっさんに感謝の電話をくれる君は、とても好感が持てる。だから僕はそう思うんだ。

 

けれども、そんな奴今後出てこなくたって、君がデブで醜くなっても、仕方ないけれども人生は続いていくんだ。だから、風見鶏みたいにフラフラしたって、君にどうしてもできないことがあったって、それは別に特別に人より劣ることじゃないんだ。現にあなたより8歳年上のこのおっさんは20代から20キロ太って、仕事もなんども転々として、何度も問題を起こして、そして何一つマスターピースを残せないで生きているんだ。それって、結構世の中普通のことなんだ。

 

だから、もしあなたがあなたのなりたい自分になれなくたって、それはそれであり得る話なんだってこと忘れないでほしい。そして、もしそうでも、そこからの行き方を進めてほしい。これは、かなこちゃんに対して叫んでいて、結局あなたの耳から跳ね返ってきた残響を僕自身が聞いているんだ。俺たちは、できないことだらけなんだ。それは、時として仕方ないことなんだ。

 

違うかい?