いろいろ病気なんてすると、他の人はあんまり背負わないようなヘマを背負う。当然ヘマは恥ずかしいし、自分を責める。しかし、周りの方々は無責任なことをいう。
自分の失敗をバネにして伸びなさい。
そんなの糞食らえだ。
今日はそんな話。
自分のヘマなんて何度も持ち出してきて覗き込むのは辛い。そりゃ本当はそういう辛さを味わって次へ進まなきゃいけないんだろうが、そんなことしているほどの余裕があったら、こんなにヘマを重ねたりはしない。
そんなことわかってるよ、でもできないんだよ今の俺には。
そう言ってやりたい。まあ、言えないが。
例えば、ハイになって町でケンカしちゃって警察のお世話になる。体にいいんじゃないかって思って葉っぱを吸って困ったことになる。酒を浴びるほど食らって、大きな失敗をしてしまう。なんだかわけわからんくなって家族に暴力を振るってしまう。誰でもやりそうで、実際あんまりみんなやらないヘマだ。
私はやりました。そのうちの幾つかを。
申し訳ございません。
でもそんなこと今の自分が客観的に考えられそうもない。そういうのはしばらくどっかおもちゃの箱にしまってしまい、もうちょっと余裕が出来た時に見返してみたい。そんなことよりもっと今の自分のためになることがある。
他人の失敗だ。
他人の失敗、これは別に病気の人の失敗じゃなくてもいい。身の回りの家族やら友人のヘマを客観的に見る。自分のヘマじゃないから客観的に見える。運良く、今入院してる人なんかは、他の人の話をよく聞いてその人たちからその人たちの失敗を聞き出せばいい。病院は失敗談の宝庫だ。
やべっ、それ俺もやりそう。とか、
俺だったらもっとドロドロになっちゃうな、やばそう。気をつけよう
とか思える。
ヘマじゃなくてもいい、まずい方向に進んでる人の姿をみることはとてもためになる。
3ヶ月ほど前に、職場の先輩に勧められてセカンドオピニオンなんていうものをとった。初めての精神科にかかった。
私は初めての場所っていうのがものすごく苦手なので、その日は医者にかかる前の晩にしこたま飲んで、医者に行く前もビールを飲んで、医者の待合室で一時間くらい待たされたから、抜け出してビールを購入してしこたま飲んだ。一時間で350の缶を4本飲んだ。
そしたら、待合室に20代中判の男の子と、その母親らしき人がいた。
にいちゃん、どっか悪いの?
酔っ払っていた私は遠慮なしに聞いた。
見た感じ元気そうじゃない。なんか困ったことでもあったのかな?
そしたら、その青年が答えた。
ええ、僕ダメなんです、引きこもりなんです。
そうか。と僕は思った。でもその前に、20代半ばなのにこんなところにお母ちゃんとくることがまずいんじゃないかと思った。なんでも、話を聞くと月に一回ここに山梨から来てるっていうじゃないか。僕は言った。無遠慮に。
にいちゃん、君、東京で一人暮らししなさいよ。そして君結構かっこいい顔してるからすぐ彼女できるよ。彼女できたらなかなか家に引きこもってるわけにも行けなくなるし、金も自由に使いたくなるから、なんかかんか仕事するようになるよ。そのうち女の子と一緒に住むようにもなると思うし。そしたら、今の問題はとりあえず解決する。
病気の方は、東京の家からここに通ってこればいいよ。この辺家賃安いし、月五万もあれば住むとこあるよ。
そうだよね、お母さん?
すると、お母さんが、
そうね、そうかもしれないわね。
でも、もう少し元気になってからだね。
と答えた。私もお母さんの顔をつぶすわけにもいかんから、
そうだね、もうちょっと元気になってからかもね。
と言った。本当はいますぐ、この病院の帰りにでも不動産屋見に行ったほうがいいのだけれども、そこまでは言わなかった。家庭の問題だから。でも、その時、おにいちゃんの目が変わった。いままでずっと曇った目でうつむいていたのに、僕の顔をまっすぐ見て。
お母さん。きっとこの人の言ってることほんとだよ。僕きっと一人暮らししたら良くなるよ。僕、そのためなら頑張るよ。
って、嬉しそうに言った。この時点で、このにいちゃんは自分の問題の解決の糸口を少しつかんだようだった。私はその言葉に返して言った。酔っ払って呂律の回らない言葉で、
にいちゃん、そうだよ。俺だって今はこうしてアル中で病院来てるけど、26の時就職して自分で自分の金稼げるようになった時引きこもりは治ったよ。自分で自分の金稼げたら、おねえちゃんと六本木でデートもできるし、銀座のかっこいいバーに女の子も連れて行ける。稼ぐ金に合わせて女の子の前でかっこいい姿見せられて、それが自信に変わっていくんだよ。今の病気も、その頃には少し良くなってるかもしれないし、しばらくは病気どころじゃないかもしれない。運良くそうなりゃいいね。
そのにいちゃんはさっきまでうつむいていたのに。僕に手を差し伸べて握手を求めてきた。僕は、力なく手を出して握手をした。そうしているうちに彼の診察の番が回ってきた。
彼が診察室から出てきて、会計を済ませたら、僕の診察の順番が回ってきた。僕は診察室に入る前に、そのおにいちゃんの方に行って両手を広げて、ハグをした。きつく抱きしめてそして、
きっと良くなる、今までよりも楽しくなる。引きこもっていたことなんかしばらくは忘れられる。僕は2週間に一回ここに通っているから、こっちに引っ越してきたときはうちに遊びにこればいい。
と別れを告げた。彼は強く僕を抱きしめてくれた。
彼のケースから僕はたくさん学んだ。当事者は問題の根源を見えなくなるもんだ。私の解決策じゃもしかして彼の問題は良くならないかもしれない。けれども、いままで病院にお母さんと毎月一度来る、っていうようなことじゃ彼の場合はいつまでも良くはならなそうだった。
こういう風に、他人のケースはとても役に立つ。自分の身を振り返ることもできる。
それと似たようなことだが、ずっと昔の自分の姿っていうのも今の自分の道標になることはある。
私は一昨年の春に、友人数名からカンパしてもらってみんなで母校にギターを5台寄付したことから学んだ。その時、フェイスブックでカンパを募ったんだが、その時こう書いた。
先日行われた母校の進路座談会で、一人の少年がいたんだ。僕は彼に話しかけた。とっても元気なさそうだったから。
君、普段何やってるの?部活とか?
彼は小さな声で答えた。
僕は何もやってません。部活とか。友達もだからあんまりいません。
じゃあ、好きなことはあるの?
音楽聞いたり、ギター弾いたりするの好きです。でも、学校にはギター置いてないので、昼休みとかはぼーっとして過ごしてます。
彼は、20年前の私だった。部活もしていなくて、学校じゃいつも課外講習があって夜まで学校にいなきゃならない。サッカーやら野球にも興味ないから昼休みはボーッとしたりギターのカタログを穴があくほど見つめて過ごしている。
その時決めた。
よし、20年前の自分にプレゼントを贈ろう。昼休み仲間に入れなくて机に穴掘ったり、ギターのカタログを穴があくほど見つめている自分にプレゼントを贈ろう。それも、できたら20年前の自分、5人くらいに贈ろう。
そのアイデアに共感してくれた元ギター少年やら、音楽室がいつも課外講習で使われていて楽器に触れることができなかったピアノ少年たちからたくさんカンパをもらった。7人ぐらいカンパしてくれて、残りは自分のポケットマネーちょっとで5人の20年前の僕にプレゼントを贈ることができた。
それは、楽器屋として働いている自分にとってはものすごく為になった。僕らがギターを売っている先に誰がいるのか、もう一度よく考えることができた。
そういう意味で、過去の自分にすごくいいことを教えてもらえた。
人のヘマ、過去の自分のくすぶり、からもっともっとこれからも学ばせてもらって、自分の糧にしていこうと今私は思っている。
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