楽器を弾くようになって初めて良いなと思える音楽に出会えること

音楽が好きで、3000枚ぐらいCDを今まで買ったか。もちろん3000枚の中にはくだらないCDもたくさんあった。今でもそのうちの200枚ぐらいは手元にある。売っても良いのだが、売ったところで10000円にもならないので、わざわざ集めて運ぶのが面倒臭い。

 

手元にある2000枚ぐらいのCDのうち500枚ぐらいは普段からよく聴くところに出してある。そのうち100枚ぐらいはほぼ三ヶ月以内に二回以上は聴く。あとの400枚はおそらく半年のうちには二回ぐらいは聴くだろう。それほど音楽というのは多様だ。その多様さに圧倒されながら、歓び、泣き、聴いている。音楽というのは多様だ。

 

今日はそんな話。

ノーミュージック ノーライフなんて言っている連中もいるが、音楽なんてなくたって死にはしないし、人生は明るい。そうでなければ耳が聞こえなかったら生きる価値もないということになる。私は耳が聞こえなくても楽しい人生を送っている連中を多く知っているし、その中には音楽がすきな連中もいるし、音楽を聴かない(聞けない)連中もいる。

 

私は、中学1年の冬にエレキギターを買った時から音楽との付き合いが始まった。それまでは全くと言っていいほど音楽は聞かなかった。ビートルズに出会ったのがその半年前。それでもあんまり聴かなかった。いまいち良さがわからなかったからである。

 

そりゃ、ポールとジョンのリードボーカル、ジョージのハモりとかなかなかいいなとは思ったが、正直背伸びしてきていただけで何かよくわからなかった。

 

しかし、エレキギターを買った時にわかった。何がわかったかというと、無性にビートルズを聴きたいということ。ビートルズがエレキギターで何をやっているのか無性に聴きたくなった。一体あの音楽の中でエレキギターは何をやっているのか?エレキギターってあの音楽のうちどの音だろう?このプワーンっていうのはエレキギターなのか?このシャラーンていうのはエレキギターなのか?

 

そして、聴き込んだ。耳垢が全然たまらないぐらい聴き込んだ。そしてわかったこと。エレキギターが全てだった。俺がかっこいいと思うビートルズの全てはエレキギターだった、ジョンのJ−160Eも含めてやっぱりエレキギターだった。

 

こういう風に、楽器を始めて聴きたくなった音楽は多い。例えば、ジャズは高校の時にトランペットを始めてから聴きまくった。ジャズってなんだろう?っていう以前に、トランペットを聴きたい、どんな音でトランペットは鳴っているのだろう。それを聞きたくて聴きたくてジャズのレコードを買いまくった。聴きまくった。高校を卒業する頃にはジャズのレコードは100枚ぐらい手元にあった。トランペットだけでなくサックスもピアノもビブラフォンも聴いた、その頃にはともかく、ジャズっていう音楽がどういう風に鳴っているのかそれが知りたかった。結局トランペットを上手く弾くことはできずじまいだがジャズは大好きだ。今はチェットベーカーとオルガンもののジャズしか聴かない。チェットのトランペットとハモンドオルガンの音にしか興味がないからだ。

 

これは音楽に限ったことではない。小説だって、気になった作家やら気になった時代に一体どんな作品が書かれているんだろうという興味から読んで、それで始めて良さがわかるものばかりだ。

 

写真という表現に興味を持ったのも、ストリートスナップの写真を見まくったのも、自分でストリートスナップの写真を撮り始めたからだ。そして、私はその中から、なんでもない静かな写真を撮りたいと思うようになり、なんでもない静かな写真を選んでみるようになった。ギラギラしている写真はあんまり好きじゃない。内堀政夫さんとか桑原甲子雄さんとかの写真が好きで、一番好きなのはロバートフランク。それでもウィノグランドは別格だけれど。

 

音楽よりも、人間の方がこの傾向は強い。自分が今やらんとしていること、今興味があることに関わっている人間にとことん付き合ってみたくなる。そしてそこからその人の良さが見えてくる。時々この順番が逆にもなるが、大抵は自分の興味のあることに関わっている人たちに興味を持ち、だんだんその人たちの中から、ああ、この人のこういうところ魅力的だな。と思ったりする。

 

だから、心のアンテナの張り方がわからない人たちは、とにかくなんでも自分が始めてみればいいと思う。楽器だったり、写真だったり、料理だったり、スポーツだったり。自分でやらないと見えてこない魅力っていうのはこの世の中にたくさんあるし、一度自分の分析ツールが出来上がると、おのずからアンテナは張られる。

 

私の場合、それは13歳の冬のエレキギターとの出会いだった。