Garry Winograndのカメラ

私の手もとに『WINOGRAND 1964』という一冊の写真集がある。

この写真集はWinograndの没後約18年後(2002年)にTrudy Wilner Stackによって纏められた写真集なので、「Winograndの写真集」という表現は適切ではないかもしれないが、1964年にWinograndがアメリカ中を車で旅しながら撮影された写真を纏めた本であり、まぎれもなくWinograndの写真群が纏められた写真集である。

 

写真家の写真集を語る際に、特にそれが写真家自身の手によって纏められたものではない場合、「○○の写真集」と呼んでいいのかという難しい問題があるが、とりあえず、今はこの写真集を「Winograndの写真集」と呼んでおこう。写真家の作品集としての写真集の存在そのものが、ちまたで流通している多くの写真集の中でも稀な存在なのだから。

 

話を本題に戻そう。

この写真集の終盤に差し掛かる部分である270ページ目にWinograndが鏡越しに撮影したセルフポートレートが掲載されている。彼が残した多くの写真がモノクロによる物なのだが、この一枚は珍しくカラーで撮影されている。そしてこの写真に写るWinograndが構えているカメラがNikon Fなのである。

 

私は初めこの写真を見た時、違和感をおぼえた。

「Winograndと言ったらLeica M4(もしくはM4−P)でしょ」というのが私がはじめに感じたことなのだが、よく考えたら(手もとの資料を調べてみたら)Leica M4が発売されたのが1967年、この写真が撮影された1964年には未だM4は存在しないのだ。

それでもNikon Fを構えるWinograndにはなにか違和感をおぼえる。彼の写真とこの日本製の一眼レフとがどうも結びつかないのだ。

 

そもそも彼の写真の特徴は、スナップ写真であることだ。さらに説明すると、そのほとんどがパンフォーカスになっている。そのパンフォーカスの画面に登場する人物が、それぞれに独立していながらも、かつどこかで不思議につながっているのが彼の写真の魅力だ。

彼のカメラの先にあるのは何でもない日常の風景、けれどもその日常の風景は一枚の写真というドラマの中でそれぞれがそれぞれの役割を持っている。ありふれた風景が、写真になることによって一つの世界となっているのだ。

 

そのような写真を撮影した機材が、一眼レフであることに違和感を覚えた、一眼レフの、あの、フォーカスポイントを強制的に持たされるようなあのファインダー像はWinograndの写真と相反するものだ。彼の写真はパンフォーカスでなくてはならない。

 

しかし、よく考えてみると、この一枚の写真ではNikon Fを構えているが、それは、この写真集の写真群がNikon Fで撮影されたということを必ずしも意味してはいない。

 

それなら、これらの写真はいったいどんなカメラで撮影されたのだろうか。

 

それについては、また後日考えてみることにして、今日のところは、この一冊の写真集を紹介するにとどめておこう。