このページは、時計修理技能士の資格取得を目指している私が、時計のことや、趣味の音楽や写真についてとりとめもなく語るページです。

色々なトピックについて、不定期に更新して行きますので、ご興味ご関心がありましたらコメント、掲示板、問い合わせ等でご自由にご連絡ください。

2017年

2月

22日

バラバラになってしまったのでブログを新しく立ち上げるかを検討中

Jimdoでブログを始めてかれこれ7年ぐらいか?

よく覚えていないけれど、前の会社にいた時に書き始めたような気がするから、そのくらいになるだろう。

 

タイトルにある時計についての記事は結局ほとんど書かなかった。楽器にについてや、CDやらレコード、写真集やらカメラの記事を書こうかと思っていたが、それもおろそかになり結局恋愛の失敗談ばかりになってしまった。

自分以外、読んでいても何のことやらという記事ばかりになってしまったので、もうそろそろ、ブログをまとめないかと思っているところで、自分が入院してしまった。

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2016年

11月

24日

テレビって時々素晴らしいものを産み出すんだな Doc Severinsen

I can't get startedはクリフォードブラウンなんかもやっているけれど、私が愛聴しているのは Doc Severinsen & The Tonight Show Bandの「Once more with feeling」というアルバムでに入っているバージョン。

 

このアルバムのこの曲の Doc Severinsenのトランペットの音がたまんないんだわ。煌びやかで、ツヤがあって、音がギューっと詰まっていて。ソロが良いんだ。これこそトランペット!っていうソロで。難しいことはしないし、テクニックをひけらかすわけでもない、シンプルなソロなんだけど、最後のハイノートまで一気に聞かせるソロなんだ。

 

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2016年

11月

22日

問題は、もう彼女が死んでしまったっていうことなんだよな。

私たちは100円の為にでも自殺しうる。問題はその理由そのものではない。いかに切羽詰まっているかなんだ。

 

例えば、100円が原因である人からの信用を失い、その信頼が回復できそうもないことに気づく。その人の信頼は自分の生活にとって要である。その人の信頼を失うことは、自分の生活を、自分の未来を、自分の築き上げてきた過去を失うという状況になった時、自殺という出口を選ぶこともある。

 

今日はそんな話。

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2016年

11月

18日

ほぼ意識の失せた死の床で「言葉にならんもんは、わかんないよなぁ」と呟いた祖父

論理とか因果関係とかによって、この世の中のものはどのくらい語り得るんだろう。

 

まあ、語り得なくても構わんものの方が多いのだが。

 

例えば、じゃあ、自分にとって切実なことは言葉なんかを通して、何らかの論理で語り得るんだろうか。

 

例えば、

 

どうやったら気持ちいいんだろう

 

とか、そういう問題は言葉によって語り得るのか。何らかのロジックで解決するのだろうか。

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2016年

11月

17日

音楽を聴くことと、認識するっていったいどういうことだろう? 松島啓之 The Song is youを聴きながら

私が学生の頃だからもう10数年前のことなんだが、サークルの先輩が、

 

おい、お前、こないだ赤坂Bフラットで凄い奴がセクション吹いてた。ソロも吹いていたが、一人だけやけに音がでかいんだ。

全然マイク通さないでも音がぶっ飛んでくるんだ。

 

と私に話してくれた。松島啓之のことであった。

 

その「凄い奴」はすでにJazz Lifeなんかに載っていて有名だったから、

 

ああ、松島啓之ですね。なんか、リーモーガンの再来って言われてますよね。

 

とか言って、お茶を濁した。

松島啓之の演奏は一度も聴いたことはなかったが。

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2016年

11月

16日

なんとなくいつもより控えめなStan Getz Stan Getz & Chet Baker QuintessenceとThe Stockholm Concerts

 Stan GetzもChet Bakerも生まれ年はそれほど変わらないけれども、キャリアはStan Getzの方がずっと先輩である。

 

ウィキペディアによるとスタンゲッツは1927年生まれ、チェットベーカーは1929年生まれだそうな。けれども、チェットが出てきたのは52年にカリフォルニアでチャーリーパーカーのバンドで吹いた時ぐらいからなのに対し、スタンゲッツはかれこれ40年代のビバップの最初期ぐらいにはもう有名なビッグバンドを渡り歩いて、ウディーハーマンオーケストラでZoot Simsなんかと一緒にやっていたんだから、ゲッツの方が大先輩と言っても過言じゃないだろう。

 

けれども、所謂クールジャズが好きな人や、50年代初頭のハードバップが好きな方には、二人とも欠かせないジャズマンであることに違いないだろう。

 

今日は、そんな二人の共演板について。

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2016年

11月

15日

この人にしか作れない何か 五十嵐一生の Tokyo Moon

もう15年ぐらい前のことだが、吉祥寺の Sometimeと云うジャズバーへ五十嵐一生のライブを何度も聴きに行った。その頃は確か毎月一度五十嵐一生のバンドが出演していた。

 

毎月趣向を変えて、アコースティックのカルテットだったり、シンセやエレベが入ったり、色んなスタイル、色んな編成でライブを聴かせてくれた。日野賢二のベースを初めて聴いたのもSometimeの五十嵐一生のバンドでだった。その日は五十嵐さん自身もトランペットだけでなくキーボードを傍らにおいて、トランペットをストラップで首から吊りながら鍵盤を弾いていた。

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2016年

11月

13日

ヒモ付きでも甘すぎないBobby HackettのThe Most Beautiful Horn In the World

Bobby Hackettといえば、あの Coast  Concertが有名で、あれはあれで名盤で、全く文句はないんだけれども。

この人は結構人気があったのか、 Capitolとか Columbiaなんかのでかいレーベルから色々レコード出していたようです。

スイングジャズばっかりやっていただけじゃ、なかなかこれだけでかいレーベルからポンポンレコードは出せないでしょう。

 

案の定、ストリングスものも結構やっているみたいです。

 

今日紹介するのはそのストリングスものの一枚The Most Beautiful Horn In the World.

 

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2016年

11月

10日

Mr. PaulのLes Paulにまた一歩 Bigsbyの付いたLes Paul

毎度私事で恐縮だが、半年ほど前に御茶ノ水の中古楽器店で中古のLes Paulを買った。2008年製のGibson USAのLes Paul Deluxeである。2008年にLes Paul Deluxeが出てたとは知らなかったが、まあ、出ててもおかしくはない。

 

値段は10万円代前半だった。Deluxeはそんなに人気機種じゃないし、色々改造箇所もあるのでまあ妥当な値段だったと思う。Les Paulを買うのは2台目だが、それ以前からもし2台目を買うならP-90の付いたLes Paulにしようと思っていたので、Les Paul Deluxeならザグリを加工しなくてもP-90が載せれるので即決して購入した。

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2016年

11月

09日

今は全然聴かないけれど、Freddie Hubbardと聞けば今でも心は熱くなる

Freddie Hubbard、彼こそはワンアンドオンリーだ。

 

駆け抜けるような8分音符、飛び出すような16分音符、ひねり出すようなハイノート。ダークでスモーキーなトーンでテーマを吹いたかと思うと時として煌びやかに響くビックなサウンド。トランペットっていうのはこうやって吹くんだ!って、いうみなぎる自信。トランペッターなら必ず一度は憧れるトランペッター。

 

今日は孤高のヒーロー、フレディーハバードについて。

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2016年

11月

08日

遠き40年代に思いを馳せて。 Reynoldsというトランペット

私の手元にReynoldsというトランペットがある。海外からずいぶん安く手に入れたものだが、そこそこにやつれている。

 

ベルにはつぶしたのを修理したらしき跡があるし、ラッカーは半分以上ハゲている。3番管のリングは無くなっていたので、別のものをつけている。幸いにしてあまりサビはなくて、凹みは修繕されておりリードパイプも綺麗な状態を保っている。バルブも機密性を保っている。一応きちんとした演奏に耐えうる楽器だ。

 

シリアルでググったら1946年製のようだ。一体1946年からどのようなオーナーを経てうちまで来たのだろう。

 

今日はこのReynoldsという楽器について

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2016年

11月

07日

鬱の時でも見れる写真集 既に完成されたFrankの写真文法 Robert FrankのValencia 1952

Frank先生の写真とは何の関係もないうちの近所の写真です。
Frank先生の写真とは何の関係もないうちの近所の写真です。

体調は良くなったり、また戻ったりを繰り返す。医者には今が大切だ、今頑張りすぎるとまた鬱に戻ったり、いきなりギンギンになってしまったりすると言われている。まあ、どん底は過ぎたということだろうからそれは救いだ。

 

もう何ヶ月も写真集を手に取っていなかった。入院中は尾仲浩二さんの写真集と日比野克彦の作品集を枕元において、それしか見るものがないから熱心に見ていた。尾仲浩二さんの写真はどんな気分の時でも心にしみてきていい。今回は躁状態で入院したが、8年前に鬱状態で入院した時も枕元には尾仲浩二のGrasshopperを置いてあった。

 

尾仲浩二の写真については後日書くとして、今夜はRobert Frank。

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2016年

11月

03日

鬱の時でも聴けるギターのCD Eddie Langの Jazz Guitar Virtuoso

相変わらず鬱である。

今日は休みなのに何もせずに寝ていた。家族サービスも無しである。まあ、そもそも娘が生まれてから2年が経とうとしているが家族サービスというようなことはほとんどしたことがない。何度か一緒に公園に連れて行ったり、月に1、2度家族三人で外出はしたが、果たしてそれがサービスだったかは怪しい。ただ自分が行きたかったところに行っただけかもしれない。

父親及び旦那失格の病気の親父である。

 

今日も、鬱の時に聴けるレコードを紹介しよう。

今日はギターである。

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2016年

11月

02日

鬱の時でも聴く気になれるレコード  Dado Moroni Tom HarrellのHumanity

約8年前に鬱状態になって、単に気分が沈むという状況だけじゃなくて、何日も死にたいと妻に訴えて、命の危険があったので入院した。

 

それから、8年間2週に一度通院はしていたが、これは甘えによる仮病だろうと自分では思いながら過ごした。その間、調子が悪くて仕事を長期に休んだりはしたが、概ね生活に問題はなかったので、やっぱりこれは自己暗示によるものだろう、甘えさせてもらっているだけだと心の奥底で思いながらダラダラと医者に通い、抗鬱剤を飲み続けた。主薬はアナフラニールだったが、その他いろいろ混ぜては飲んだ。

 

レメロン、

セディール、

リーマス、

ジプレキサ、

サインバルタ

 

その時の状態に合わせて飲んだ。

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2016年

11月

01日

言葉少ない深い対話。五十嵐一生、辛島文雄 I wish I knew

五十嵐一生さん(Tp)と辛島文雄さん(Pf)がデュオのアルバムを出した。

五十嵐一生さんも辛島文雄さんもジャズのミュージシャンである。二人とも日本のジャズシーンではトップクラスのミュージシャンだし、私も個人的に五十嵐一生さんのトランペットは大好きで今までに出したCDも持っている。

五十嵐一生さんの音楽は、マイルスデイヴィスと並べて語られることが多い。確かにライブによっては60年代のマイルスクインテットを思わせるサウンドだったり、もっと後のエレクトリックなサウンドの時もある。そこで五十嵐一生の刺さるようなトランペットサウンドは確かにマイルスを思わせる。実際はもっと温かいく太い音で吹くこともあるので、それがマイルスとは違ったサウンドを作り出しているのだけど。

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2016年

10月

30日

吉原芸術大サービス

今日は家族で吉原に行った。
吉原という町はまあ普通に考えて2歳の娘と妻を連れてわざわざ行くような街ではない。30代の男性にとってはまあ素晴らしい場所なんだろうけれど。

 

吉原芸術大サービスという、まあ何が大サービスという呼称なのかよくわからないと思うけど、そういうイベントに行ってきた。
このイベントは近年毎年やっているらしく、この界隈ではそこそこ有名なイベントなんだが、私は今年初めて行ってきた。

 

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2016年

10月

29日

母さんへ

今日は家族で吉原に行ってきた。

 

そのあと、音楽室で楽器を練習した。

そしてダイニングで妻の作ったカレーを食べた。

カレーを食べたら元気が出たので、ピアノでフレディーマーキュリーの歌を真似していた。

 

ボヘミアンラプソディ。この歌は少年の歌だ。

もし少年が少年のままでいれるのなら、そのために人を殺すことも必要なのかもしれない。人を殺した少年はなんとなく大人にならないような気がする。

少なくとも、この歌を聴いているとそんな気がする。

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2016年

10月

28日

下手くそでもMartin Committee

たとえ下手くそでも、たとえ初心者でも使う楽器は大切である。

 

所謂エントリーモデルを買うことはない。はじめっからプロフェッショナルモデルを使っちゃいたい。もう、この際ビンテージのプロフェッショナルモデルなんか使っちゃってもいい。

誰も怒らない。自分の金払って買うんだから、人様に迷惑はかけない。迷惑なのはわけわからん古い楽器に大金を払う夫(妻)を持つ家族ぐらいだろう。

でも、だってあのチェットベーカーがジャケの写真で構えてるあの楽器、吹いてみたいでしょう?

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2016年

10月

27日

弘法筆を選ばずなんていう奴は信用できない。プレーヤーと楽器の機種について

楽器屋に勤める私が言うのも何だが、楽器の機種による差ってとても小さなファクターだと思う。


たとえばギターについて言えばレスポールとストラトでも、CDで聴いてその音の差をわかるのはギタリストぐらいだと思う。一般的には。いや場合によってはギタリストだってスピーカーの向こうでどんなギターを弾いているのかなんてわからない。これは、アンプ、エフェクターやらの話を置いておいても、たとえアコースティックギターだってそうだ。


例えば、SRVはいつもボロボロのストラトを弾いているイメージだけど曲によってフライングVで弾いたりする。

彼のライブ盤を聴いて、あ、これはストラトじゃないなフライングVだなってわかる人がどれぐらいいるか?

 

オールマンやらディッキーベッツがSGとレスポールを持ち替えて気付く人がどれ程いるか。


ひいては、ジムホールがレスポールカスタムとES175を持ち替えたのすら気付かないのは、わりと普通だと思う。

 

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2016年

9月

25日

何かを極めるというけれど、どの程度までを目指すか

今日は、親子三人で東京タワーへ行ってきた。

東京タワー、登るのは初めてである。もしかしたらいったのみ初めてかもしれない。とにかく、時代はスカイツリーなのだから、電波飛ばしてるのはスカイツリーなんだから、東京タワーには用事っていうものがない。

まあ、電波飛ばしていた時分も何も用事はなかった。現実に電波飛ばしているスカイツリーにも何の用事もない。これが電波代の集金とかをスカイツリーやら東京タワーでやっているのならまあ、行く用事もあるんだが、電波代は別の人が取りに来る。

だから用事ない。

しかし今日は用事あった。まゆたまのライブである。まゆちゃんとたまちゃんのライブである。

いかねばならん。

 

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2016年

9月

24日

楽器の練習は日々の目標設定が重要なそうな

楽器の練習を一ヶ月ほどさぼってしまった。ギターぐらい大丈夫だろうとタカをくくっていたのだが、全然ダメだった。

ギターが全然弾けなくなった。コードを押さえられない。音階のポジションがわからない。持久力が衰えた。自分の楽器すら弾きづらい。指が痛くなってしまう。

ちょっとの間の入院だと思って楽器を持ち込まずに入院していたのだがこれがまた大きな失敗ギターを弾く神経系が衰えてしまい。そこに向精神薬の副作用で指がむくみ指先の感覚がなくなってしまった。

家に帰ってきて愛用のストラトを弾いても弦が太すぎて思うように弾けない。レスポールは重いがテンションは低いのでなんとか弾ける程度。しかし肝心のコードを押さえられない。

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2016年

9月

15日

Chet Bakerから学ぶことなんて無くたっていい

Chet Bakerが生前最後のカルテット録音となったローゼンハイムでのライブ録音を聴いている。

Chetは晩年おびただしい数のライブ盤を発表している。私も全ては持っていないがかなりの数を持っており、しばしば聴く。もちろん演奏のクオリティーはまちまちになっているが、さすがトッププロ全てのアルバムでチェットの個性は光っているし、チェットのアルバムに仕上がっている。

 

チェットは時に、自分の楽器すら持ち歩かずにヨーロッパ中をツアーした。その所々で録音を残している。ライブだけでなくスタジオ録音すら旅先で行っていることもある。それらの一枚一枚を聴いていても、やはりチェットのアルバムに仕上がっている。

 

チェットは教材として聴けるようなミュージシャンではないとおっしゃる方もいるが、チェットのトランペットソロは8部音符で丁寧なアドリブになっていることが多く、メロディアスで鼻歌でも歌いやすいのでフレーズをコピーするのは比較的簡単だ。そして、それがどれもチェットのサウンドになっていて、とても魅力的である。だから、チェットのレコードから学ぶものは多い。

 

ただ、チェットベーカーになりきったところで、それはあまり意味のないことかもしれない。なぜなら、チェットは個性的であれ、と言い続けたミュージシャンで、チェットベーカーから学ぶべきことは、誰かのレコードから借りてきたサウンドを演奏してもそれはあまり意味がないことだということだ。模倣するなら自分自身を模倣しなさいということ。だから、私は黙ってチェットを聴く。

 

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2016年

9月

08日

司馬遷との最後の再会

司馬遷と空港で待ち合わせることになった。北京空港。北京五輪のすぐ後だ。まだ五輪の爪痕が残り、空港は清掃はされていたものの壁には傷がいくつも残っていた。彼等は事実スポーツ選手による戦争を嗾けにきたわけだし、仕方無かった。

 

武帝の付き人から左遷され(司馬遷のセンは左遷のセンであるから仕方ない)景徳へ島流しにあっていた司馬遷は人生最後の時間を、私達のような外国人の為の講演会に充てていた。彼らしい人生の締めくくり方だ。景徳からの便はまだ着かなかった。

 

ハンブルグからルフトハンザの747でここに来た私は疲れていた。北京空港に降り立ち、最後のカンパリソーダをパーサーから手渡された時に、機内には静かにビリーボーン楽団の奏でるビートルズのshe's leaving home が流れていた。不意に私の頬に一筋の泪が流れてきた。パーサーは私に大丈夫かと尋ねた。

大丈夫。ただ少し昔のことを思い出したんだ。

 

747のロールスロイスが独特の高周波を鳴らしていた。

 

空港のロビーには今日も人が詰めかけていた。まるで、今は喪ってしまったマイケルジャクソンの来訪を迎えるかのように。

 

また北京か。今回で何度目の北京になるだろう。初めて北京を訪れたのは94年。私は大学を出たばかりで、独り雑誌の取材に訪れた。北京空港は今よりも古い建物であったが、今よりも整っていて、壁には傷一つ無かった。このロビーのバーももちろん無かった。マティーニは無く、カンパリソーダもなく、あるのは安い紹興酒に角砂糖が乱暴に入れられたのと、バカ高いペリエだけだった。

 

あれから二十年弱が経つ。一体何が変わって、何が変わらなかったのだろう。18キロ太った体と、失ってしまった多くの女性たち。その中でも学生時代からの付き合いのあった香織が今はもういない。司馬遷ならなんて声をかけてくれるかな

 

それから一時間程が経った頃、ゲートから司馬遷が出てきた。白いベルサーチのジャージに大きなテンガロンハットに突き出た腹は元気そうに見えたが、顔はげっそり痩せていた。

 

シーロー、久しぶりだな。
俺の顔が見えないようにこの帽子を被ってるんだ。構わないか?
何せこの顔は自分でも参ってしまう。
行こう。
そういう悪魔の飲み物はやめて、日本料理を食べに行こう。日本茶が飲みたい。
香織のことを考えていたな?心配要らない、俺もすぐに香織のところへいくつもりだ。日本料理のテイクアウトを持ってね。彼女は春巻きが好きだった。

 

行こう、司馬遷先生。
俺はまだ彼方に行くには若すぎるから、日本料理屋までは付き合うさ。
約束のコイーバとマイルスデイビスのCDを持って来たよ。

 

司馬遷は力なく笑い、私は彼の大きなスーツケースを引き受けた。
北京、北京なんかに俺は何の用事があるんだろう?俺はいつまでもAn English man in NYなんだろうか。

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2016年

9月

07日

楽器を弾くようになって初めて良いなと思える音楽に出会えること

音楽が好きで、3000枚ぐらいCDを今まで買ったか。もちろん3000枚の中にはくだらないCDもたくさんあった。今でもそのうちの200枚ぐらいは手元にある。売っても良いのだが、売ったところで10000円にもならないので、わざわざ集めて運ぶのが面倒臭い。

 

手元にある2000枚ぐらいのCDのうち500枚ぐらいは普段からよく聴くところに出してある。そのうち100枚ぐらいはほぼ三ヶ月以内に二回以上は聴く。あとの400枚はおそらく半年のうちには二回ぐらいは聴くだろう。それほど音楽というのは多様だ。その多様さに圧倒されながら、歓び、泣き、聴いている。音楽というのは多様だ。

 

今日はそんな話。

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2016年

8月

30日

何事も両立はできないこと。何かをとって何かを諦めることのむづかしさ。

何かをとって何かを諦めるって、私は凄く苦手なんだな。

けれども、ギターに行き詰まったときにトランペットがあるといいし。写真も十年とかのスパンで続けられるなら、何かを残すこともできるかもしれないな。
写真はやめたくない。何故なら写真はカメラさえあれば作れるし、結局それ以上のものはない。写真の意地悪で均質なディテールは、いつも謎めいていて人知を超えて存在する。そして、暗室作業という科学実験の中から浮かび上がる像は、愛とか悲しみといった自分勝手な思い込みに引きずられながらも、全く自由なところに存在する。
写真の色々な側面のうち

作る、ではなくできる

という側面は常に私を自由にしてくれる。
だから、写真はやめたくない

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2016年

8月

29日

自分と他人とは一体何なのか

自分と他人の接し方というものは、義務教育が始まるずっと前から教えられてきた気がする。人のものをとってはいけない、人の嫌がることをしてはいけないとかそう言った基本的なこと。そして、中学高校になるにつれて少しずつそれの応用問題をやった。いじめ、いじめられ、見て見ぬ振り、優しさのこうり。妬みの扱い方も20歳前後に学んだ。

 

私は今36歳であるが、ここにきて、またその基本的なところから分からなくなっている。

 

今日はそんな話。

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2016年

8月

28日

病気のせいで、行きたくない場所に連れて行かれることがあっても、時として別のものが別の世界へと誘ってくれること。

私のことばかり書いたところで読んでいただいているひとには面白くないのだが、また私事です。

 

重篤ではないが心の病を抱えてしまってから(重篤かどうかはよくわかりませんが)世界の見え方が病気のせいでかなり変わって見える。何も面白いこと、良いことがないクソみたいな場所だと思うときもあるし、世界ってなんてすばらしんだろうって思うこともある。これは、病気にかかわらず、誰もが多かれ少なかれ感じるのかもしれないけれど、そのダイヤルの回る角度が極端になりすぎて、自殺しそうになったり、一晩中飲み明かしたり、頭がギンギンになったりする。

 

今日はそんな話。

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2016年

8月

28日

夏の終わりの

今日、夜に最寄駅から明治通りを歩き、帰ってくるときに、10代らしき少年たちが、自転車に跨りながら

 

もう夏終わりだから。

 

と言っていた。

夏も終わりか。

確かにもう9月になる。主要な花火大会は終わった。

夏の終わりだ。

 

Hello, My friend

君に恋した夏があったね、

短くて、気まぐれな夏だった。

 

瞳に君を焼き付けた

尽きせぬ想い

明日にならばもうここには

僕らはいない

 

短い夏の終わりを告げる

波の音しか聞こえない。

 

思い出になる恋と西風が笑うけれど

このひとに賭ける

 

好きでもないし、嫌いでもない

フルだけフリなよ、フラれてやるさ

9月の海に、雨が降る

 

皆さま、勝手に引用いたしました。

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2016年

8月

26日

自分の失敗なんてバネにしなくていい。他人のヘマからの方が学ぶことが多い。

いろいろ病気なんてすると、他の人はあんまり背負わないようなヘマを背負う。当然ヘマは恥ずかしいし、自分を責める。しかし、周りの方々は無責任なことをいう。

 

自分の失敗をバネにして伸びなさい。

 

そんなの糞食らえだ。

今日はそんな話。

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2016年

8月

25日

誰かの力になれること

病棟で親しくなった天涯孤独の若い女の子が、今は他に誰も相手にしてくれないからと、私を慕ってメールくれる。
正直、私は嬉しい。とても嬉しい。彼女は可愛い若い女の子だし、彼女独特の言葉はどこか私をやすらぎの世界に連れて行ってくれる。そして、どんな形でも彼女の力になれるのは嬉しい。

 

長くなるかもしれないけれど、今夜はここから始めよう

 

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2016年

8月

24日

あなたならできる、なんて言葉いつも真に受けなくたっていい。私にできないことがあっても構わない。

私は自己顕示欲の塊です、(本文とは関係ありません)
私は自己顕示欲の塊です、(本文とは関係ありません)

今日、かなこちゃんから電話があった。

使いさしのテレホンカードを退院の時に彼女にあげた時、カードの裏にちゃっかり書いておいた私の電話番号にかけてくれたのだ。

 

彼女は、晴れて地元広島の病院に転院できたらしい。彼女を待っているものは決して彼女にとってのパラダイスではなかったとしても、以前からの望みがひとつ叶ったんだ。いいことだろう。

 

今日はかなこちゃんと自分におくるひとつの考え方の話。

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2016年

8月

23日

失敗を繰り返すだけでは手に入るものはないこと

入院していた期間は3週間ぐらいか、いや1ヶ月くらいだったかな。実はよく覚えていない。

 

入院期間は何もやることがなく、日がな一日ぼーっとしていた。本を読んだりもしたが、本を読んでも何も頭の中に入ってこなかったから、画集を見たり、写真集を見たりしていることの方が多かった。写真集は8年前の入院時と同じ尾仲浩二の写真集、画集というか作品集は日比野克彦の図録。何度も眺めた。

 

その他の時間はほとんど自問自答していた。

他の人たちと話す時も、その人たちの声の中から自分の声を聞き出していた。

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2016年

8月

19日

力になりたいと思うときに限って何も力になれないこと

齢36にもなると人前で涙を流すことはなかなかできない。

36の男が涙を流している姿を誰も見たくないからだ。

 

しかし、入院中に一度人前で涙を流してしまった。悔し涙であるが。悔しくて悔しくて仕方なかった。俺は今まで何をやってきたんだ。今まで何も積み重ねてこなかったのか、

なぜかそんなことを思った。本当はそれ以前に自分の生活をなんとかせねばならんのだが。

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2016年

8月

14日

病気が治らないと笑うこともできないかもしれない。だったら治ったら笑ってほしい。

同じ病棟に、いつも俯いて、ボーっと遠い目をしている女の子がいた。歳は27か8ぐらい。椅子の肘当てを擦り、何度も立ち上がろうか立ち上がらないか迷うのが彼女の癖だった。チューリップの蕾みたいな可愛らしい子だった。

彼女は色々病気で失ってきていて、傷つき、瞳から輝きが消えつつあった。地元の広島の病院に転院することだけを夢見ていた。いつも、ひとり遠い目で周りを見ていた。カナコちゃん

もし彼女に、他の人と話ができる余裕が充分に出てきたら、彼女に色々なアホな話を聞いてもらい、少しでも笑って欲しかった。私には、言葉以外に使える道具はない。似顔絵も描けないし、歌もあまり得意じゃない。手品なんかもできない。勿論ジャグリングやら声帯模写もできない。江戸屋猫八にはなれない。

私が彼女に何度か声をかけ、クッキーやら飴をあげたら、いつしか私がロビーに座ってボーっとしている時は彼女が隣に腰掛けることが多くなった。私は何を話しても長くなる癖があり、彼女を疲れさせるのが嫌だったから、いつもただ一緒にボーっとしていて、二つ三つ簡単に答えられる質問をした。

東京の街を歩いた?
クレープ好きなの?

私が、このブログに何を書いても彼女には読んでもらえない。彼女は私の名前すら覚えていないだろう。それに、彼女はいつも彼女の作った華奢な甲冑の中に潜んでいた。いつも元気を取り戻した彼女を少しでも笑わせたくて、何か面白い話はなかったか思い出そうとしたのに。そして今もまだ、思い出すのに。

もう一人、同じ病棟に高橋さんというおじさんがいて仲良くしていた。警察のお世話になったりしながらここに来た者同士話が盛り上がった。病棟にいる中で一番マトモな、一番ヤバいおっさんだった。私は高橋さんの話なら何時間でも聞いて入られた。

高橋さんもまたカナコちゃんのことを気にかけていて、彼女が現金を持たないせいで実家に電話をかけれないことを気の毒に思い、こっそり使いさしのテレホンカードをあげていた。飴やらクッキーを自分はあまり好きじゃないのに、僕等若い衆に与えてくれた。

一度、私と高橋さんがロビーで話をしていた時、私の隣にカナコちゃんが静かに腰掛けた。
高橋さんと話が盛り上がっていたので、カナコちゃんにも話を振った。
ここに来る前に彼女は北国に居たと聞いていたから、良くなったらまた北国に戻るのか?それとも広島に帰るの?
と、尋ねた。
彼女が黙って、ボーっと遠い目をしてたから、

このまま東京にいたら?

と、私が呟いたら、高橋さんがすかさず私の口真似で

俺の嫁になれ

っと言った。
私は驚いて、

高橋さん、それ、僕が40秒後に言おうとしてたセリフです。40秒待ってください。40秒早いです

と言ったらカナコちゃんが、すこし迷惑そうに笑った。本当に笑ったのかどうなのか気づかない程だったけど、確かに笑った。
私と高橋さんは無意識に目を合わせてニコリとした。

カナコちゃんが失ってしまったものの多くは戻らないだろうが、また彼女が笑う姿をたくさんの人に見せて欲しい。傷つかないでこの病棟に入って来たもののおごりと言われても構わん。

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2016年

7月

12日

汚い生き方なんてしたくないとか言いながら、汚く生きること

私は酒なんぞ飲まなくても充分生きていける。そんなこと、今に始まったことじゃない。20年前だってそうだった。酒飲みにはなりたくなかった。だって酒が弱くて、飲んだら気持ちよくなる前にいつも気持ち悪くなって吐いていた。酒がうまいなんて感じたこともなかった。酒に酔って自分をごまかすことも嫌だった。

 

私は10代の頃嫌と言えない人間だった。物事をはっきり言うのははしたないことだと思っていたし、それが美しい、良いことだと思っていた。なんで美しさなんて追求したんだろう?美しさなんて子供だましで、ちっとも嬉しくない。美しいことが良いことだという教育はあるだろうけれども、美しくて良いことなんてこの世の中の本当の一部だ。あとは大して美しくない方が良い。少なくともマトモに人間として生きていくのであれば。

 

今夜はそんな話。

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2016年

7月

11日

あの9月13日がまた巡ってきたら

パソコンやらアイフォンやら、いじっていると本当に腹が立つ。

普段は、普通に使えばいいのだが、今みたいに出先だと、どうしてもiPhoneの設定をやり直したり、パソコンの設定をしなおしたりしなければならない。こういうことはもっと簡単にできるようになって当然なのに、世の中っていうのは便利なものができるほど面倒なことが増えていく。パソコンやらiPhoneだけじゃない。Facebookやらツイッターやらも、便利なんだが、あれらのせいで本来は知りえなかったことがわかってしまうし、今までなら繋がりようがなかった方々とつながる。もっとも、私は本来なら一期一会の関係のはずの方と今でも繋がり、本来なら名前すら知らなかった素晴らしいミュージシャンのライブ情報を仕入れたりして、また、それらの方々と繋がっているのだ。そのおかげですごく傷ついたり、すごく幸せを甘受したりしているのは確かなのだが。

 

今日は、そういう一期一会の関係のはずだった方々とお知り合いになれた話。

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2016年

7月

10日

新約聖書の解説。聖書がわからない私のための覚書

私の両親はキリスト教徒である。

母は真面目にカトリックを信仰しているらしく、中高ミッション系の女子校、引退後は毎週末教会に通っている。

父は、プロテスタントとしてアメリカで洗礼を受けたらしい。本当かどうかは不明。ただ、20代の頃ボストンに留学していたから本当なのかもしれない。MIT(マタチューゼツ工科大学か?)の先生は敬虔なクリスチャンが多いそうだと聞いた。

 

それで、私も小学校に上がってしばらくは、母の教会に行ったりしていた。父もその教会に来ていて、一緒にお祈りしたりしていたから、まあ、日本のカトリック教会はゆるいんだな。異教徒でも受け入れてくれる。

 

もっとも、教会に行っていたとは言っても、イースターとクリスマスぐらいで、普通の時は日曜も両親は仕事をしていたからほとんど行かなかった。だから、正確には、教会に「通った」ことはない。イースターとクリスマスだけ。

 

イースターとクリスマスの時礼拝が終わると、パーティーみたいのがあって、みんなでおかし食べたりする。卵もらったりする。そして、母の学校の先生とか同級生だったシスターとかに挨拶する。それが目当てで行っていたと言っても過言じゃない。あと、たまに神父さんとマンツーマンで喋ったりしていた。プロテスタントのはずのうちの父も、神父さんと喋ったりしていた。堅物だったオヤジも神父さんのことは、牧師とか呼ばんでちゃんと神父さんと呼んでた。(The Simpsans)

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2015年

5月

08日

Martin CommitteeとLeblanc Martin T3460 

マイルスデイヴィスが好きな方は特にでしょうけれど、Jazzのトランぺッター又はトランペット愛好家の多くは、一度はこの楽器を使ってみようかと検討されたことはあるかと思います。マーティン、いやマーチンと一般には呼ばれてますが、マーチンのコミッティーモデル。世界で最もジャズジャズしいトランペット。あのマイルスも、リーモーガンも、ケニードーハムも、アートファーマーも、もちろんあのチェットだって愛用したモデルのトランペットです。

クラークテリーだって晩年はルブランが再生産したモデルの色物を使ってました。かつてはハードバップといったら皆、猫も杓子もこのCommitteeモデルを愛用してたんです。


今日は、そのコミッティーについて。

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2014年

11月

13日

霧のかかった透明感。Let's Get Lostを聴きながら思うこと

チェットベーカーについて何度かこのブログでも書いて来たが、特定のアルバムに関しては特に書いていないと思う。

Let's Get Lostは全部通してみたことはないが、はじめの30分ぐらいはYouTubeで見ることができるので、見たことがある。あの有名なブルースウェバーの回想から始まる。


初めて彼に会ったのは 遠い昔ニューヨークでのことだ。冬の大雪の日だった。

僕はティファニーの前の交差点を渡っていた。

彼はシボレーのコンバーチブルで、赤信号で止まった。

雪が彼に降り積もっていた。 髪までびっしょり。

カーラジオから ズート・シムズを聴いていて 雪に気付かなかった。

それがジャズさ。


チェットがコンバーチブルの後部座席に座っているカットに切り替わる。

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2014年

10月

28日

秋の夜に想う

死後の世界は有るのだろうか?産まれる前の記憶は無いというのに。私は人間は一度しか生きられないと思う。産まれ変わることはないのではないか。天国はあるのか、地獄は有るのか?
ないと思う。
しかし、三途の川みたいなのは有るらしい。人の命が終わり、人の身体から心が抜けるとき、心は何処か知らない所へ行くらしい。
らしい、らしいで恐縮だが、私は三途の川の説明を受けたとき、死に際した人の多くが三途の川へ、正確には喫茶店なのだが、行った共通の経験をしたと聞いて、それは信じられる気がした。
それでは、一度も心を授からなかった命はどうなるだろう。きっと心は身体の形成と共に作られている。そして、生命のリプロダクションでのみ、それは可能なんだ。今のところ。そして、心の形成は産まれてからされる後天的なものなのだろう。
植物に心はあるか。都市や惑星、宇宙には始めから心はない。しかし、では心と呼ぶものは何なんだろう。私...の憶測では、人間の頭脳の中で育まれる世界観を人は心と呼んでいるのだと思う。だから、人間以外の生物には正確な意味での心はない。ただ、心に似たものがある生物もいるというだけのことだ。
だから、三途の川は人間にしか存在しない。人間の生命の一部なんだ。

榎本先輩の写真を見ながら、そんなことを考えた。写真は心とは関係なく存在する。しかし、印画には人間も、それ以外の生物も、建物も、同じように存在し得る。彼女の写真には心の特権階級である人間を排除している。だから、私は印画のなかに、そこには写らない心による作用を意識した。彼女の写真もまた、心の特権階級を自覚させ、それが無常であることを指し示しているのだ。

榎本先輩は本当に洗練された写真作家です。気になる方は是非彼女の写真を見てみてください。
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2014年

10月

13日

オギーとマーギー2

マーギーがマーギーと呼ばれるようになったのは変わり者のオギーと付き合い始めてからだ。オギーも変わり者だが、マーギーはその上を行く変わり者だ。
風呂の無いアパートに住むオギーが我々が集まる小さな狭いカフェに来たとき、たまたまいたのがマーギーだった。

久しぶりだね、オギー。最近あんまり遭わんかったね。仕事?

いや、なんだか家に篭りたくなって、絵とか文とか書いてたら一週間も外に出なかった。めしも、カップ麺がたくさん買い置きしてたから。結局コーヒーとカップ麺だけで一週間経っちゃった。

バイクは今日は?無いみたいだね。

ビール飲みにきたから。
と、オギーは小さな声で呟いてビールを飲み始めた。

それから30分くらい、或いは五分ぐらいか、オギー、わたし、マーギーの三人は黙ってビールを飲んだ。長くゆっくり時間が過ぎるのを、手持ち無沙汰になったわたしは独り耐えていた。それはマーギーも多分一緒だった。

もう少し黙っていようかと思っていたら、マーギーが話し始めた。

オギーさん、なんだかお疲れみたいですね。風呂入ってゆっくり寝たら良いんじゃ無いですか?わたしも明日早いし、帰って寝るかな。

彼女の言葉があまりにも白々しくてありふれたものだったので、わたしたちは何故だか照れ臭くなり、ポツリポツリと話し始めた。

そういう風に一時間ビールを飲みながら話しているうちに、オギーがマーギーの部屋に風呂に入れてもらいにいくことになった。それは、雨水が雨樋を辿るように、ごくすんなりと、あらかじめ決めてあった話のようにすすんだ。

佐々木さん、変な想像しないでね。俺、疲れてて、きっとそういうことできるパワー残って無いから。

 

 

二人の名誉のために書くが、その夜二人は寝た。オギーがマーギーのうちに風呂に入れてもらいに行った夜だ。
これはオギーからそう聞いたわけではないが、次に二人にカフェで逢ったときに気が付いた。

二人は狭いカフェの四人がけの席に二人並んで座っていた。わたしが店に来たことに気づいたとき、オギーは椅子の上に手をついていたマーギーの手の上に重ねていた自分の手をそっとどけた。

外では静かに雨が降っていたが、店の中は少しだけ暖かかった。

初めにわたしに気づいたのはオギーで、

あ、佐々木さん。お久しゅう。

とぎこちない古語でわたしに声をかけた。

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2014年

10月

13日

オギーとマーギー

マーギーの奇行についてはオギーからだいたい聞いている。彼はそれを三ノ輪の小さな狭いカフェで話してくれた。

マーギーが変なことは今に始まった事じゃないだろ。俺があいつに会ったときはもうかなり変だったよ。

いや、佐々木さん違うんだよ、そういうんじゃなくて、最近は普通にしている時も変なんだ。朝ごはんだって言ってパンにノリのふりかけかけて食べたり、チョコアイスに歯磨き粉つけてチョコミント味だとか言ったり。
それにあいつ、窓からコンドーム投げ捨てたりするんだ。

コンドーム?それ、投げ捨ててるの?

いや、俺も初めはあいつ、別の男と関係を持ったりしてるんだと思ったんだけど、あいつの部屋に行くたびに、もうコンドームないっていうから、いつもまた買いに出てたんだけど、この前たまたまあいつのアパートの前通ったとき、前の道の10メートル四方ぐらいに五つコンドーム落ちてたんだ。
それが、俺が買って行ったやつと同じやつだったから、そのあと会った時に聞いたら、コンドーム窓から投げ捨ててるって言うんだ。
俺が、なんでそんなもったいないことしてるんだって聞いたら、慈善事業だって言うんだ、オギーもやってみる?って。

ああ、わかるよ、わかる。マーギーはそういうとこあるもんな。お前だってあいつと親しくしてんだから少しは理解出来んだろ?オギーがバイクのタンクやエンジンにわざわざ傷つけたりしてるのだって、俺はあんまり変わらないと思うな。

いや、佐々木さん、そういうことじゃ無いんだよ!

 
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2014年

5月

15日

遠くで汽笛を聞きながら

5月のはじめに新潟へ行った。新潟で学校の先輩が写真展を開くとのことで、それを見に行った。同時期に音楽祭も開催されるというので、それを聴きがてら、一泊二日の一人旅をした。

カメラはプラウベルマキナ、30年代のアンチコマーがついているやつ。フィルムはトライエックスを念のため20本持って行った。フィルムを持って行って正解だった。新潟の街並は美しかった。一日目の午後に瞬く間に十数本を撮り終えた。東京で撮っている写真と並べてもわからないくらい自分の好きな風景が新潟にはあった。そのことを、今回の訪問まで知らなかった。

 

写真展を見て、その夜は新潟の酒を堪能した。堪能しすぎてしまった。時間が早く進んだ。

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2014年

5月

13日

六本木バニラムードで若林一也のSexesを聴く

今日は仕事の後、久しぶりに夫婦でライブを聴きにいった。若林一也(Sax)がリーダーのSexes。

まず始めにゲストのトリオでフリーインプロ(スタンダード吹いてましたが)がグイグイとテンションを上げていた。フリージャズは騒がしいので、私はあまり普段は聞かないのだが、やっぱり今日のも騒がしかった。騒がしかったが楽しめた。それは、ビジュアル的なパフォーマンスを含め、プレーヤーがワケの分からない世界から私たちを迎えにきてくれるというか、歩み寄ってくれていた。ほら、こんなの面白いでしょ。こんなこともできちゃいますよ。とか、ボキャブラリーがとにかく豊富なのである。

好きな音楽ではなかったが、面白かった。

 

そして、Sexesである。

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2014年

5月

12日

すれ違いの世界と大便

拝啓、東京は初夏と言っても過言でないくらい、暑い日が続きますが、そちらは如何ですか?お元気にしてますか。あなたに最後に会ったのはいつでしたかね。もうすっかり忘れてしまいました。

 

今日こうして便りを書いているのは、僕たちが学生だった頃のことをふと思い出したからです。あの頃の僕は落第坊主で、ろくに大学にも行かず、酒ばっかり飲んでましたが、あなたはあの頃から優等生で、小難しい写真作品を撮られたりしてましたね。そう考えてみれば、僕は社会人医なっても相変わらずの落第坊主で、あなたは今でも写真を続けられて、社会人としてもエリートコースをたどっていますね。今の僕たちも、やっぱり然程変わってませんね。

変わったことは、私が結婚したことくらいかな。

 

落第坊主の私もあの頃は写真ばっかり撮ってました。あなたが、どちらかと言うと内省的な写真ばかり撮っていて、僕は街ばかり撮ってました。

学生会館覚えてますか?きたない所だったけど、僕たちが最初に会ったのはあのきたない建物の中でしたね。あなたは男みたいなカッコして馬鹿でかい一眼レフを持っていて、僕は安物のニコンを持ってましたね。

あの、暗室を覚えてますか。僕は数度しか使わかなったけど、あなたはいつもあそこで写真を焼いていた。僕はあの汚い暗室が苦手で使うのがイヤだったから自分のワンルームの部屋をすぐに暗室にしました。あの汚い暗室から、あんなに純粋で透明なあなたの写真ができ上がることが不思議でした。

 

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2014年

5月

09日

残された独りの時間の為に

あの、九十年代半ばの映画で、ミッシェルアンドロミーっていうやつあったろ。あれでさ、プロムで最後に女の子二人だけになっちゃって二人でタイムアフタータイムに合わせて踊るシーンあるだろ。

 

俺、あれ好きなんだよね。

きっとシンディーローパーもあれ見て誇りに思ったとおもうよ。あれ、知らない?

見たこと無いなら見た方がいいよ。あれ、男独りで金曜の夜にテレビで見たら、センチメンタルってのがどういうもんかわかるよ。俺は絶対に見ないけどね。死にたくなると嫌だから。

 

あと、ジャニスイアンが、ジャニスジョプリンじゃないよ、ジャニスイアンが17歳の頃って歌うたってるじゃない。あの曲、何もしなかった日曜日の夜に一人暮らしの部屋で独りで聴いたことある?

 

俺は絶対聴かないけどね。

前、日曜日の夜に独りであの曲ギターで弾いていたら、もうどうしょうもなく憂鬱になったよ。だからもう二度と聴かない。

 

けどね、人生って不思議なもんでね、望む望まぬに限らず家族とか、パートナーとか恋人とかできてね。本当に独りになれるのは今だけかも知んないんだ。

だから、それ、今のうちにやっとかないと死ぬまで出来ないよ。まあ、それでも良いんだけどね。

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2014年

5月

09日

薬をあてにするな。

もう何年も前にね、そのころ睡眠薬と精神安定剤を処方してもらっててね。けれどもほとんど飲んでなかったんだよ。

 

それでさ、その頃好きだった娘がね、くれって俺に頼むんだよ。その飲んでない薬を。何に使うんだよ、ってきいたら、死にたいっていうんだよ。旦那と上手くいってないし、暴力ふるわれたり、無視されたりするって言うんだ。

 

お前、そんなもんいくら飲んでも死なないよって言ってやったの。俺も前に女の子にふられて悔しくて、もらっていた薬バカのみしたけど何にもおこんなかったよって。そしたら彼女うつむいちゃって。

 

仕方ないから、じゃあ、俺が死ぬの付き合ってやるよ。二人でホテルでも行って死のうって言ってやったの。もう、清水寺から飛び降りるくらい大盤振る舞いな気持ちで。

 

そしたらさ、嫌だってんだよ、そんな気持ち悪い死に方。

 

おりゃーさみしかったね。こいつにとって俺ってそんなかよって思って。おれがここまで歩み寄っているってのにね。

 

けどね、その後もそいつと会わないようにするなんてことにはならなくてね、それからもズルズルやってるうちに、結局そいつの旦那の転勤でいなくなったよ。

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2014年

5月

09日

砂漠を歩く

時々、人と関わりたく無くなる。人が嫌いなわけではない。自分自身が弱くて、ついつい人に甘えてしまい、結果として迷惑をかけたり、身の回りの人が嫌がることをするのが嫌になるのである。
私の周りには、人付き合いがあまり上手くない人達が多い。だから、私はそこにつけ込んで面倒をかけるのだ。
そういう自分が嫌になりそうな時は、人を避けたくなる。自分に失望したくないからだ。
しかし、そうしているうちにすぐに人恋しくなり、外にでるのだ。世間には人の暖かさを感じられる場所は少ない。私の場合はいつも何処か一箇所である。
だから、その一箇所に行く。このだだっ広い砂漠に一箇所しかないオアシスに足を向ける。
それが、女性の部屋の時は厄介だ。あんた、家に奥さん待ってるでしょ、と言われる。確かに家には家内が待ってる。
家に居たければ家にいる。家に居たくないから砂漠を歩く。傍らにある蛇口をひねって飲める水がいつも甘露とは限らない。貴方のオアシスの水が飲みたくて、砂漠を歩く。
だから、私の世界には、家の水道と、砂漠のオアシス、砂漠のオアシスを模した飲食店。それしか存在しない。

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2014年

5月

01日

真夜中の電話、真夜中の修羅場

彼女から電話がかかって来たのは夜の1時過ぎだった。その夜は、ちょうど、今の私の嫁さん(当時の彼女)が東京にテストかなにかを受けにきたついでにうちに泊まって居たので、布団を抜け出して、台所の換気扇を回し、エコーに火をつけてから彼女の電話にでた。

 

電話口で彼女は泣いているようだった。

 

彼女は、今ちょうど彼氏が部屋に泊まりに来ているはずだった。今朝、布団を出た時、私のタバコの臭いが彼女の布団にのこらないように、ファブリーズを吹いたのだ。

 

どうしたの?こんな遅くに、彼、一緒にいるんだよね?

 

彼女は何も答えず泣いているようだ。

 

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2014年

4月

30日

落第坊主の留年記と青春の瞬き

私は大学の講義というのが苦手だった。

何処が苦手かというと、90分というのが苦手だった。私の集中は三十分しかもたない。その上三十分毎に便意を催す。集中が切れると人の話が頭に入らない。

90分集中に耐える講義は鈴木良隆先生の商業史及び経営史と、松井先生の消費文化論だけだった。だから、どうしても聞いていたい講義の時は、先生にあらかじめ事情をはなし講義中二回抜け出してトイレに行きタバコを吸いに行っていた。そのような方法で瀧澤先生の失楽園についての講義と、高田先生の社会学系の授業を乗りきった。

だから、私が、大学六年間でまともに受けた講義はその四コマだけだった。当然私は落第坊主だった。

消費文化論二という、若くて美人の先生がやっていた講義は、初めの三十分だけは聞いていられたが、残りの六十分は飽きてしまって、カメラジャーナルという雑誌のバックナンバーを読むのに費やした。そのおかげで、カメラジャーナルのバックナンバーを全て読破し、消費文化論二の単位も頂いた。

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2014年

4月

24日

世田谷のえんま様

世田谷区は恐ろしいところで、私の住んでいたボロアパートの一階の部屋の下にはまだ部屋があって、そこには、いつもボロボロの服を着て、ボロボロのサンダルを履いた老人が住んでいた。そのアパートと道を挟んで向かい側は立派な塀に囲まれた高級分譲マンションがたっていた。

道路のボロアパートの並びは、同様のボロ屋が連なり、高級分譲マンションの側にはマンションとサミットという小綺麗なスーパーがあった。

貧乏だった私たち夫婦は、時折そのサミットのお惣菜が安くなる時間に買い物をしたが、大抵は食うや食わずの生活を送っていたので、コンビニか駅の近くの安売りスーパーか100均で食べ物を買っていた。

アパートの横にはゴミ捨て場があって、みんな同じ安売りスーパーで買い物をしているらしく、同じスーパーの袋に入れられたゴミが汚く雑に棄てられていた。

一方、高級分譲マンションの方には鍵のついた柵に囲まれたゴミ捨て場があって、売り物のゴミ袋に入ったゴミが、指定の日の朝だけ、綺麗にまとめられていた。

貧富の差はゴミ袋にまで現れ、貧しい者はゴミの捨て方も汚くなるということを知った。そして、住人が少ないはずのボロアパートの側の方が、いつもゴミが多かった。ゴミの中身はコンビニ弁当の空が大半だった。

私が無職になってからは、毎日家でゴロゴロしていたので、ゴミの観察が日課になった。ゴミの観察はつまらなかった。

ある日、ボロアパート側の並びの工事現場で男が頭から血を流して倒れていた。現場の作業員のようだった。珍しいのでしばらく観察していたが、男は全く動かなかった。

数日後に工事現場の作業が中止されて、現場に花が置いてあった。私は無感動に写真を撮ってみた。写真を撮っていると、こんな生活をやめたいと思った。

芦花公園までトランペットを背負い自転車で行った。デタラメに吹いてみたが、全然音が出なかった。

貧乏人は音楽をやっても、やはり貧しい音しか出ないと思った。それでも、その後半年以上その貧乏暮らしが続いた。クソみたいに辛かった。

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2014年

4月

19日

青春とは

それは今から14年ほど前の春、ハタチで大学に入学した。

同じクラスに小樽出身の男がいて、すぐに友達になった。もう一人神戸出身の男もいて、三人で毎週のように酒を飲んだ。

あの頃は三人ともまだ自分のパソコンは持っていなかったので、エロサイトとかの存在は知らなかったが、かといっても、エロ本やエロビデオを買ったりもしなかった。そもそもテレビを持っていなかった。

大学に入りたての女の子達は開放的で、春の陽気も手伝い、性欲のはけ口には苦労しなかった。

もっとも、私はあまり性欲は強くないので、月に一二度くらい何とかなればそれで性欲はおさまった。

しかし、男三人が集まり話すことといえばおよそ九割が下ネタと、クラスの女の子の話だった。

幸い、私のクラスにはかわいい女の子が比較的多くいた。とは言っても五人位だが。私はクラスの女の子の名前を列挙した星取表を作成し、三人で星取表をうめた。

その作業が終わると、性欲をどう解消しようかという話になった。学生の私たちは金がなく、風俗店とは縁が無かったので、やれテニスサークルの新歓コンパだ、やれダンス部のパーティーだと話し合ったが、どれも、性欲の解消という目的の為には、長過ぎる手続きが必要なので、今から準備するのは面倒だ、ということになった。

 

その時、小樽出身の男が、

あっ、いい方法がある!

と言って急いで自転車に乗り何処かへ行ってしまった。

 

三十分以上神戸出身の男と二人で酒を飲みながら、彼を待った。そのうちに私は酔いつぶれ、眠ってしまった。

 

起こされてみると、小樽出身の男がいっぱいに書籍の詰まったビニール袋を持っていた。彼の家の近所の古本屋で特価販売されていたという官能小説だった。

 

私たちは、とりあえず、眼鏡をとり、思い思いに官能小説にかぶりついた。確かに、なかなかよく書けてはいたが、性欲の「解消」には結びつかなかった。

 

思えば牧歌的な青春時代だった。 

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2014年

4月

17日

あいつだけはいつでも俺の女だろうという幻想

心の中で、何故かかなり長い間頼りにしていた、学校の後輩の連絡先を携帯から消した。フェイスブックもアンフレンドした。
彼女と今年の始めに会った。とても久々に。俺はその時ですら自分の幻想が幻想であることに気がつかなかった。


ある女性との関係についてぽろりと彼女に話した。


彼女に言われた。
あんた、いつもそうやって生きて来たの?私がそんな話聞いてなんとかしてくれると思うの?
そう、俺はいつでもきっとそう思っていた。そいつに捨てられても、きっと君がいるなんて思っていた。
それから何日かして、いや二ヶ月してやっと、そんな馬鹿なことはないと気付いた。あの人にだってあの人の都合がある。当たり前か。
けれども、私は、やっぱり自分の心の中にこのことを収めて置かないで、あの人のいなくなったFacebookでぼやいたりしている。

 
 
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2014年

4月

16日

或る女性のための小話

こういうと、やっぱり彼奴は同性愛者だったんだと言われてしまうかもしれないが、私は同性愛者ではない。バイセクシュアルである。


まあ、それはともかくとして、恋愛という器は砂型のように自由自在に見えて、実のところ金型のように異形を許容しない。だから、私たちは自分のわけのわからない感情のもつれを、どうにかして恋愛の型に押し付けようとして、しばしば痛みをおぼえる。


男には男同士にしか分かち合えない愛の形があると言えば簡単だが、それが愛という言葉で片付けられるものなのかそうでないのかは今でもよくわからない。ただ、私たちの場合それはアルバートアイラーだった。

彼と関係を持ったわけではないし(ケツほったりね)、彼は私の好きなタイプの人間では、いやこの場合は男では無かった。私には理解しがたい側面だらけの男だった。

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2014年

4月

08日

妻との約束

4月1日、今日世間では年度初めなのか。

私も十年近く前に、安い背広に親父から貰った貧相なネクタイつけて、社長から辞令貰った気がする。親会社から来た話のつまらん社長と、年功序列終身雇用のくだらない会社での生活が始まった。
くだらないのは同期社員まで揃いも揃ってで、女性社員がそこそこ綺麗なこと以外は何もいい事のない場所だった。
昼飯を役員とイタリアンレストランで食べて、ワインをたらふく飲んだので昼間っから頭がぼーっとして、気付いたら五時だった。
まだ明るい自宅への帰り道、桜が満開で、なんだか虚しい気持ちになった。俺はこのまま、この中小企業で冴えない生活を送って歳をとって行くんだと思い涙がでた。
すぐに田舎に帰っていた今の妻に電話をかけて、東京に出てきて、俺と住もうと言った。もうこんな生活を独りで続けられなかった。
半年後くらいに妻が上京し六畳での二人暮らしが始まった。
そういや、あの時約束したんだ。ずっと一緒にいようって。
それが私の年度初めの記憶だ。

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2014年

4月

08日

私の苦手な東北の街

俺は声を殺して泣いた。幾晩も泣いた。横で寝息を立てている嫁さんに気付かれぬよう、タオルを口にあてて、涙を堪えて泣いた。
しかしながら、私の小さな願いも届かず、結局あの人は旅立ってしまった。毎晩毎晩、俺が金持ちだったら、俺が留年せずにもっとマトモな職についていたら、と思い、けれども結局この結末は避けられなかったんだろうな、と思い、途方にくれた。
悲しみを忘れる為に、酒も飲んだ、メイドカフェにも行った、騒がしい音楽も聴きに行った、行きずりの女と…。
けれども何者も私の心を癒してはくれなかった。
俺はこの先一生北国のあの地名を耳にする度、今日と同じように絶望的な気分になるのか。

その街が憎い。何もかもを引き裂いた東京という町も憎い。

そういえば、もう十年ほど前、私は各駅停車を乗り継いで、札幌の実家に帰省した。そのとき、初めの晩はその街に降りたって酒を飲んだ。
その街で唯一の繁華街の店に入った。

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2014年

4月

08日

些細な理由

今日、みなさんには当たり前のことかも知れない些細なことに気がつきました。
それは、私が楽器を弾いたり、歌を歌ったりする理由です。
私は二十歳の頃からずっと好きな女の子がいます。彼女は数年前に結婚し、今は遠くにいます。けれども、そういう地学的な距離に関わらず、もう十年以上も彼女の中に私は存在しないし、もう何年も年賀状すら来ません。連絡も、ほぼとれません。何より、私には家庭も有りますので、この先の人生彼女と愛し合うことは無いと思います。
前置きが長くなりました。
私が楽器を弾いたり、歌を歌ったりするのは、もしかしたら、いつか、彼女が僕の演奏を聴いてくれるかもしれないからです。
私はチェットベーカーのトランペットが好きです。チェットの音色は、何処か暗い広い部屋で声をたよりにお互いを確認し合う恋人の囁きのようで好きです。
だから、僕も頑張って練習して、暗い広い部屋でも僕に気付いてくれる声を手に入れたいと思います。いつか、彼女に気付いてもらえるように。

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2014年

3月

30日

再会の哀しみとJeff Beck "Cause we've ended as lovers"

店のスピーカーからCharlie HadenのArt of Songが流れ出した。

若手の熱いライブのあとにはちょっとしっとりし過ぎるような選曲だが、これも悪くない。今夜のライブはイキが良くて、それでいて奇麗にまとまっていて、とても楽しかったのだ。私は、カウンターにおいたままになっている自分のジムビームのグラスをふと見つめて、できるだけ然りげなくそれをあおった。

 

「あ、これカルテットウエストの、アートオブソングですよね。僕好きなんです」とマスターに話しかける。マスターもこのアルバムが好きだという。こういうところの好みと、お酒のセレクション、そして若いミュージシャンが目一杯張り切って演奏している、それが好きでこの店に来ているのだ。もちろん、私の目当てはピアニストの彼女なのだが、この際そのことはどうでも良いのだ。こんなステキな店で、ステキな音楽が聴ける。それだけのために、ここ下北沢のアポロに今夜はきているのだ。

 

演奏を終えた、ピアニストの彼女が、共演者に挨拶をしながら、客席で彼女の演奏を聴いていた彼女の知り合いに声をかける。愛くるしい笑顔で客席に近寄る彼女の姿を見ると、彼女のお友達は本当に羨ましいと思う。今まで、美しく淡麗なピアノを鳴らしていた彼女が、笑顔で声をかけてくれるなんて、天使にキスをされるような気分がするだろう。

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2014年

1月

16日

Well, it's all over now.

そりゃ、彼女を愛していたこともあったさ。けれど、そういうのはもう全て終わったことなんだよ。

 

ジョニーウィンターがスピーカーの向こうで叫んでいる。スタジアムに満員の聴衆。ギブソンのファイアーバードを搔き鳴らしながら叫んでいる。

 

そうだ、全て終わったことなんだ。

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2014年

1月

08日

書き出しの原案1

「佐々木さんを傷つけないように一応言っておくけど、私別に佐々木さんのことを嫌いとか、好きとか、そういうことを言っているんじゃないの。ただ、佐々木さんの書いているくだらない小説に出てくるような女にはなりたくないの。」

 

そうはっきり言われると、嫌いとか言われるより傷つくな。俺の小説なんてどうせろくに読んでもらっているわけじゃないのに。

 

一応、なんか言い返さないと格好がつかないから

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2013年

9月

09日

記憶が消えてしまう前に⑥

I am not sure if she still remembers it, but I still remember the afternoon we played Hotel California with her on our temporal band in my high school day. 
I remember it because in that afternoon my left hand was so hurt since I had punched my host brother in the morning. It was so painful that I even could not hold my guitar properly.

And then, the band started to play the song. I missed a few codes because of the pain on my hand.
I believe that she never even had heard the song before. I noticed it by listening her sang by exploring codes from the start, however, it sounded great. Sounded like I had never heard the song before. I felt as if I was creating a whole new music. I wished that I could never go back to home that my host brother is waiting and I could play guitar for a little more time with my band.
Our band was not proficient, but was good enough to enjoy play music with.
I sometimes wish that l could still play music like I did in the afternoon. I remember the feeling of it with the pain on my hand. Maybe that is on of the reasons why I still play guitar today.
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2013年

8月

28日

Nelson's barでもう一度

人生は短いし、筆無精な私は、明日からもきちっとこのブログを続けていけるかはわからない。書きたくなくなったらやめてしまうかもしれないし、今夜だって、何から書いて良いかわからなくて、困っていたのだ。今夜は書くのやめようかと。

 

昨日の続きが、どうも思いだせない。何を次ぎに書いて良いかわからない。だから今夜はちょっとお休みして、もっと最近のことについて書く。最近のことだが、私の体調がとても悪かった時期のことなので、どこまでが記憶で、どこまでが創作かわからない。わからないし、事実をそのまま書いてしまうと、とても夢のない話しになることは請け合いだ。夢のない話しもこの世には必要なんだけれど。

 

だから、夢のない、儚い夢のような話しを読みたい方はお付き合いください。

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2013年

8月

27日

記憶が消えてしまう前に⑤

予備校に通いだしてから、すぐに友達ができたわけではない。

 

田中さんとテツさんとは、喫煙室で会う度に二言、三言言葉を交わすようになったが、友人という間柄になるまでは随分と時間を要した。随分、と言っても、19の頃の随分は、33になった今の随分よりも随分短期間ではあるのだけれど。けれども、私にとって予備校での一年は生涯でもっとも長い一年の一つだから、2〜3ヶ月は随分長い時間である。時間とは相対的なものなのだ。

 

19の春の私の相棒は、ちょっとオカマっぽい大庭君だった。

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2013年

8月

26日

記憶が消えてしまう前に④

映画館、それが今日たまちゃんから聞いた言葉だ。

珠ちゃんについては、過去に色々書いたから、今日は割愛しておく。私が注目している、才能あふれるジャズピアニストであり、私の好きな女性像を具現化したような、女神様みたいな女性だ。森田珠美さん。このブログを読んでくれて、彼女に興味を持ってくれたら、是非ライブに足を運んでみて下さい。

 

それで映画館。

 

私たち兄弟の思い出は、映画館からはじまる。映画館は特別な場所だ。

 

ああ、こんなに話し拡げちゃって収集つくのだろうか。時間が許したらお付き合いください。きっとためになる話しは全然出てこないでしょうが。

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2013年

8月

24日

記憶が消えてしまう前に③

田中さんとテツさんは二人とも理系の浪人生だった。

 

予備校にいつ行ってもこの二人は最上階の喫煙室におり、その他の場所では殆ど見かけたことはなかった。もっとも、私は文系だったから、授業がひとつもかぶっていなかったことも関係しているのだが。しかし、私が喫煙室に行くときにはいつもこの二人がいた。

 

この二人と、初めて話した時の記憶は殆ど無い。ただ、憶えているのは、父親と予備校の入学案内を聞きにいったとき、父親が授業料を納め帰った後、私が喫煙室に入った時初めて会話したことは憶えている。おそらく、入学案内の内容についてだったと思うが、内容は憶えていない。

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2013年

8月

22日

記憶が消えてしまう前に②

予備校で「さん」付けで呼ばれる人は、2浪以上だ。

誰もが予備校に入った日にはもうそれが当たり前のことになる。

 

田中さん、テツさんも、私が予備校に入った日にはもうさん付けで呼ばれていた。そしてその日には私は彼らに「芳三郎」と呼ばれていた。それが全ての始まりだった。私の十九、二十歳の始まりだった。

 

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2013年

8月

20日

記憶が消えてしまう前に①

私の歳まで生きている方々にはおそらく誰もが平等に十九、二十歳の頃があったはずだ。不思議なことだけれど、あの人にもこの人にも十九、二十歳の頃はあったのだ。これから産まれてくる赤ちゃんにも特に問題がなければ、おそらく十九、二十歳になる日が来る。それが青春と呼べる日々であるのかどうなのかは学術的なことがわからないからはっきりとは言えないが、私自身に関して言えば、まさに十九、二十歳の頃が私の青春だった。二十歳になって大学に入学したが、その後の数年間は青春に附属しているおまけみたいなもんだった。

 

実際、大学に入ってからは殆ど青春時代らしきことはしなかった。模型飛行機の製作と、スナップ写真の撮影に明け暮れていて、他には殆ど何もしなかった。

それなのに、社会人になったら、飛行機も、写真も殆ど興味が無くなってしまった。

 

恋愛も殆どしなかった。今の妻とその頃既に付き合っていたので、他の女性と恋愛をすることは殆ど無かった。ただ一人、学生の頃知り合った女の子で好きだった娘はいた。その後も、ずっと好きだったが、結局一度も付き合うことはなかったし、二人きりでデートしたことすらない。ついにその娘も数年前に結婚してしまった。

 

だから、今手元には大学時代に手に入れたものは殆ど無い。嫁さんと、数人の友達だけだ。

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2013年

6月

04日

Gretsch Hot RodにTV JonesのMagna Tron

グレッチと言えばかつてはアメリカの代表的なギターブランドの一つであった。グレッチのブランドは今でも存在するのだが、もうかつてのアメリカ製のギターではなくなってしまい、日本の寺田楽器がOEMで造っている。

 

私は、Gretschというブランドがどうも好きで,今まで何台も(6台程)グレッチを買っては手放している。今時分の部屋にあるGretschブランドのギターは3台。アメリカ製の古いやつが2台、寺田製の新しいやつが1台である。

 

グレッチのギターは日本製になっても良くも悪くもクセがあり、なかなか面白いギターブランドである。

 

まず、色が個性的。今でこそカラフルなフィニッシュは珍しくないが、グレッチこそ元祖スパークルカラーのギターだ。それと、ミントグリーンやバーガンディーも有名か。

そして、音も個性的。

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2013年

5月

20日

Rickenbacker 620の音抜け改善!

私事で恐縮ですが、先日Rickenbackerの620を購入しました。

 

リッケンは前から気にはなっていたのです。なぜって、ギブソン、フェンダー系のギターってこの世には沢山あって、世の中の大半のギターメーカーがそのうちのどちらかもしくは両方の影響を受けているのです。

 

特に、ストラトシェイプのギターなんかはかなり世の中に流通しておりますが、あれはフェンダーストラトキャスターの流れをくむギターと言えるでしょう。最近のメーカーではPRSなんかはギブソンの良いとこにちょっと手を加えたギターと言えます。グレッチなんかは個性の強いブランドですが、基本的な造りはギブソン系です。

 

私はギブソンとフェンダーのギターを既に持っているので、ほぼ、これだけで、エレキギターのようは足ります。しかし、ギブソンフェンダーだけではギターは語れないとつくづく思わせられるのはリッケンバッカーというギターです。

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2013年

5月

15日

ボンタンをご存知でしょうか

今夜は妻と一緒に代官山の「ヤギに、聞く?」に山梨ワインを囲む会に行ってきた。

 

山梨ワイン、湯葉料理、そしてジャズ。

 

そういう会だった。なぜ、そういう会に妻と出かけたかというと、学生の頃のジャズ研の友人(先輩?)がジャズ演奏をするというので、ワインもジャズも好きなんだからまあ、イッチョ嫁さんと一緒にジャズと山梨ワインでも堪能しようじゃないかということで、出かけた。

 

バンドの名前は佐野大介andバップス。バップス、あのビバップとかハードバップとかのバップである。うーん、ジャジーでオヤジくさい名前である。もう、ヘアトニックとバーボンと仁丹のニヨイがするのである。佐野大介&バップス。

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2013年

4月

24日

どんなゲージを張るか、それが問題だ

今日はギタリスト以外にはどうでも良い話し。どうでも良いことなんだけれど、ギタリストにとっては大事な話し。

 

トランぺッターは楽器について一言あるヒトが多い。バンドの練習なんかでトランぺッターが二人以上揃うと、必ずトランぺッターどうしで楽器の話しをする。やれどのラッパがどうだ、このラッパはどんなクセがあるなんて話しだ。それと、必ずと言っていい程マウスピースの話し。チェットベーカーがバックの6Bだ、マイルスはジャルディネリだ、クリフォードブラウンはニューヨークバックの12だとか。トランぺッター以外にとってはどうでも良い話しだ。

 

しかし、トランぺッターは自分の唇のコンディションに常にナーバスであるから、その不安を少しでも楽器でカバーしたいのだ。この楽器があるから大丈夫、今日はきっとハイC以上の音符もはずさないで吹ける。とか、このマウスピースは唇への負担が少ないから、今日はきっとばてないで最後まで吹ける。とか、そんなことを常に思っている。だから、トランぺッターが集まると必ず楽器の情報交換が始まる。

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2013年

4月

09日

涙が出るからつまんないこと言わないでよ。と言われたい

James TaylorのMud Slide Slimを聴いている。優しいアルバムだ。アコースティックギターの弾き語りは奥が深い。ジェームステイラー程の名人になると、ギターの音が良い。弾き語りのギターの方がきめ細かくて、それぞれの曲にピッタリの音色で弦が鳴る。こういう風にギターを弾けるのであれば、ギタリスト冥利に尽きるであろう。

 

今日は、帰宅してから約3回イーグルスの「The Sad Cafe」を聴いた。The Sad Cafeは物悲しいしんみりとした曲だけれど、同時にとてもロマンチックな歌だ。そのせいか、今夜はずっとそういうちょっと陰りのあるロマンチックなバラードを聴いていた。

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2013年

4月

04日

Sorry seems to be the hardest wordのSorryは誰の言葉か

クラプトンの新譜、「Old sock」を聴くであります。

 

クラプトンのカバー曲のセンスはとてもいい。クラプトンはとても熱心に他のアーティストの曲を聴いているのだろう。カントリーの比較的マイナーな曲とかでも、クラプトンが歌うと名曲になる。クラプトンはブルースミュージシャンやめて、カントリーシンガーに転向すれば良いと思う。

 

それはそうとして、今日の話題はエルトンジョンの名曲「Sorry seems to be the hardest word」である。

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2013年

4月

03日

不義理とは、なんと冷たい言葉なんだろう。ノルウェイの世界に寄せて

小説を読み終わりそうなときに、書店に行って次に読む本を探すのは、すごく不義理で汚らしい行為だと思う。今読んでいる小説の中に入っていながら、その心は一度こちらにどけてしまって、次の本を選ぶ。そういうことは世間では浮気と呼ばれる行為だ。

 

しかし、不道徳なこと、汚らしいことは、皆様ご存知の通り甘美な側面もある。不義理をはたらき、女性を捨てるとか、裏でコソコソ女をつくるという行為は世の中ではいけないことになっている。その理由もなんとかわからなくはない。むしろ、当然そういう風に思われるべきだと思わなくもない。

 

しかし、我が身に振り返ってみると、自分という人間はそういう不道徳で汚らしいことにも確かに魅力を感じる。

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2013年

4月

01日

What have I got do to make you love me?

このところ数週間、僕はため息ばかりついている。

 

嬉しいこと、楽しいこともある。僕はそれを否定できない。けれども、僕はふとした拍子に、自分が何か間違いをおかしたのではないかと不安になり、後悔をし、自分の心に問いつめる。私は何を求めているのだろう。私の求めてるものは何だろう。

 

そして、やっぱりため息をつく。僕の心の行き場はあるのだろうか。

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2013年

3月

28日

Joe Bonamassa、今更だけど凄いやつがいるもんだ。

私もギターに関わる仕事してるから、ミュージックシーンには明るくないと行けないんだけれど、申し訳ないけれど勉強不足でなかなか新しいミュージシャンをチェックできない。新しい音楽なら、まあしょうがないかと思うんだけれど、結構中堅どころのミュージシャンでも知らない人が多い。知ってるけど、全然聴いたことない人も多い。

 

自分の好きなカントリーとかだと、大体中堅どころまでは把握してるんだけれど、最近のロックではどれも同じようなサウンドにしか聴こえないので、いまいち食指がのびない。ヴィンテージトラブルとかは何度か試聴コーナーできいたが、サウンドが当たり前すぎてどうもわざわざ自分の時間を割いてまで聴く気にはならなかった。

 

最近買った今時のミュージシャンのレコードも、Birthdayの新譜を随分以前に購入したきりだ。もう既に、ロックは聴き飽きた、新しいものを聴く気が起こらんと考えていた。

 

そんな私もJoe Bonamassaのギターにはやられてしまった。

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2013年

3月

21日

匿名の街としての東京.内堀晶夫「風町」

今日は午後体調が悪くなり、会社を早退し内科にかかった。

 

幸い何事も無く、胃薬をもらって帰ってきた。帰ると、アマゾンで買った内堀晶夫の「風町」が届いていた。ずっと欲しかった写真集である。この本はいつでも手に入るような気がして今まで買っていなかったが、内堀氏の写真が見たくなったので、この度購入した。

 

写真集が欲しくなる季節なのかもしれない。同時に3冊も写真集を購入した。内堀氏の写真集2冊と、尾仲浩二の写真集1冊だ。どれも、街の風景を撮影したスナップ写真である。

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2013年

3月

18日

人付き合いの希薄さを超えて、潮田文「風に吹かれて」

先週末は風邪を引いてしまい寝込んでいた。

 

寝込んではいたが、寝てばかりいても良いことは無いので、新宿御苑方面に散歩に行った。御苑方面に行ったのは目的があったからだ。南原四郎さんこと潮田文氏の写真集「風に吹かれて」を蒼穹舎まで買いにいったのだ。

 

潮田文氏の写真はご覧になったことが無くても、氏の文章に接したことがある方もいるかもしれない。月光という文芸誌の編集長を南原四郎という名で何年も続けてらっしゃるから、月光を読まれ氏のことをご存知の方もいらっしゃるだろう。

 

「風に吹かれて」は一風変わった写真集である。

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2013年

3月

14日

あまく危険な香り。女性関係の失敗の数々

昨日も書いたけれど、春の訪れが私の身体にも確実に影響を与えている。

 

それはそれでやる気が出ていいことなのだけれど、バリバリやる気にあふれている時はそれだけ失敗も多い。特に、異性との遭遇、関係において失敗をしがちである。

 

失敗と言っても、関係を持つといったことや、できてしまうとか、そういった本物の失敗ではない。もっと軽微な失敗。言い換えれば、フラれるということだ。

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2013年

3月

13日

新しい私へ。古い私から

ついにきてしまったというべきなのか、ずっと前からこうだったのか。わからない。

 

けれども、おそらくこれは必然で、季節によるものなのかもしれないし、身体のサイクルによるものなのかもしれない。けれど、またけれどだけれども、私は新しい私になるのだ。古い私とはお別れの時が来た。新しい私が何ものなのかはわからないけれど、古い私を忘れ去らなければ行けないことはおそらく確かなことだろう。

 

そんなことを、今日会社帰りの地下鉄三ノ輪駅でおもった。

 

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2013年

3月

11日

上野アメ横「ヤング」が今ナウい!!

上野アメ横「ヤング」が今ヤバいことになっている。

何と、ほぼ全品半額セールを行っているのだ。

 

「ヤング」をご存じない方にそっとお知らせしよう。「ヤング」はアメ横でも老舗のウエスタンショップだ。ウエスタンと言ったらヤング。ウエスタンを気取りたい方はとりあえずヤングに言ってつま先から頭のてっぺんまで全て揃えるが良い。あ、ブーツは売ってなかったかな。

ブーツはBtoBで買えば良い。だからブーツはおいといて、ウエスタンなパンツ、シャツ、ジャケット、ループタイ、テンガロンハット、何でも揃う。

 

そのヤングがいま売りつくし半額セールを行っているのだ。

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2013年

2月

26日

東京マラソンを見る。そのあと踊りに行く。

2月24日は東京マラソンを見に行った。

マラソンを観戦するのっていうのはとても曖昧な行為で、路肩で観戦していても全然試合の状況は確認できない。マラソンを本当に見たいならテレビで見るのが一番だろう。

 

だから、マラソンを応援しにいったと言った方が近いかもしれない。マラソンを、応援しにいった。うん、まあなんとなくわかるようなわからないような。応援しにいったと言っても、特定の選手を応援していたわけではない。何となく茅場町あたりで張っていて、通り過ぎるランナーを応援した。

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2013年

2月

05日

ギターはもっとファッショナブルな存在で良いと思う。

ギターを13歳のときに手にしてから、色々なギターを弾いてきたが、手元に残っているギターはどれも装飾の控えめなギターばかりだ。これは私の個人的な好みもあるのですが、ジミだからって好きって言うわけではないけれども、地味なギターは大抵好きだ。所有しているエレキギターの大半は1ピックアップそれもシングルコイルのものばかりだし、まだ持っていないギターでもレスポールジュニア、グレッチの59年製の6119とか、ES225が好きだ。

 

アコースティックギターでもやっぱり地味なギターは好きで、D-45とかにはあんまり興味がない。

ポジションマークやインレイはできれば、地味な方が良い、ギブソンのギターなんかは結構インレイも凝っているけれども、私の好みはどっとポジションで、指板にバインディングが無いギター。

レスポールは一台も持っていないのだけれど、その理由も、地味でシンプルなギターが好みだからかもしれない。シンプルなギターこそ色々な表現の可能性を秘めているし、いろんな弾き方、いじり方で自分の好みの音色、ルックスを追求できると思う。

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2013年

1月

29日

50年代の彼方からの響き。L−50

L-50
L-50

私はアーチドトップのギターが好きなのだけれど、ギブソンのアーチドトップもずっと気になっていた。なかなか良いのが買える値段で出ていなかったので、今まで諦めてきたが、L−50の良いやつがあったので、33歳の記念に購入した。

 

結局結構な出費にはなったが、音はカラカラ乾いてて、低音もジーンと鳴る美しいギターである。やっぱりギブソンは良いギターを作る。50年代の普及版のアーチドトップだけれど、作りはしっかりしていて手抜きは無い。L−5やSuper400等最高級ラインのような重厚感は無いけれど、音量、音質ともに独り家でつま弾くには最適なギターである。

 

こういうギターをそれほど高くない価格帯で国内でも作れるようになったら面白いのだけれど、なかなか作れないのかもしれない。

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2013年

1月

24日

大人になるって言うことはEsquireの魅力がわかることです。

私事ですみませんが今日は私の誕生日でした。結構いい歳になりました。

 

そこで、今夜はギターの配線を修正しました。誕生日にふさわしい作業です。電気関係のものをいじっていると、なんだか頭の整理になっていいですな。エスクワイヤの配線もなかなか奥が深いのです。

 

実はこのEsquireもともとはテレキャスターでした。ピックガードをはずすと今でもテレキャスターです。テレキャスターの方が音のバリエーションがあって使いやすいのです。実際エレキギターの中で一番使い勝手が良いのはストラトかテレキャスでしょう。どちらもサウンドのバリエーションが豊富ですから、何でもこなせるギターだと思います。だから、テレキャスターのままの方が使い勝手は良いのです。

 

では、なぜEsquireにしたのか。これが今日の話題です。

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2013年

1月

22日

フルテンにすると発振が止まらないアンプヘッド。でもハイゲインです。

自作アンプヘッド

昨日は5E3のクローンのハムノイズを消したことについてブログに書いたが、今日はノイズが消えなかったことについて。

 

実は昨日の夜ブログに載せたやつ以外に、もう一つ5E3 Fender Deluxeのクローンを制作したのですが、その一台が今日の写真のヘッドです。なんでそんなに5E3ばかり作ったのかと言いますと、私はこれ以外のアンプを製作したことが無いからです。

 

じつはもう一台アンプを作れる部品は持っているのです。あるムックに載っていたギターアンプの回路を参考に制作したのですが結局完成しないままトランスと真空管が手元に残っているのです。でもそっちは怖いから見なかったことにして、5E3のクローンが2台手元に残りました。

アンプって何台あってもしかたが無いのですが、同じ回路で作ってもトランスやコンデンサーが違うと音が違うのが不思議です。

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2013年

1月

21日

ハムノイズがピタリと止まり、またアンプが欲しくなる。

このブログでも何度か紹介したが、私は50年代のフェンダーのアンプがすきで、Fender Deluxe 5E3のクローンを一台所有している。もう5年以上前にWebber speakerからキットを買って自作したのだが、アンプって一筋縄では行かなくて、今まで何度も壊れたりノイズがとれなくなったりしていて、何度もばらして組み直した。

 

2年程母校のジャズ研に貸していたのだが、ノイズが乗りすぎて使い物にならないというので、半年程前に引き揚げてきた。それで、とりあえず壊れていたところは直したのだが、やっぱりどうしてもハムノイズが消えなかった。

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2012年

12月

19日

お店出します。12月になると思いだす叶わなかった想いの数々

また長らくブログをサボってしまった。読んで頂いている方申し訳ないです。最近あまり書くことが無いのです。毎日が本当に速く過ぎていき、前回ブログを書いてから未だ数日しか過ぎていないと思っていたら、もう数週間、数ヶ月があっという間に過ぎているのです。

 

仕事がそんなに忙しいわけでもなく、家に帰ってからも色々自分の時間が持てているのでそれはそれでとても有り難いことなのですが、それでも、気づいたらもう夜中になっていて、寝る時間なのです。もう、今日何があったとか、今度何があるとか、週末何しようとか、週末何をしたとかそういうのが特にないまま、日々だけが過ぎていくのです。

 

それで、そのさっさと過ぎていく時の流れに抗うように、モノクロの写真を撮影したりしているのです。数年ぶりに写真に取り組んでいます。今日は、そんな日常から。

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2012年

11月

21日

砂に小指で書きました、さよならと。

砂に小指でさよならと
砂に小指でさよならと

久しぶりにモノクロのパノラマを撮影した。

森下から日本橋へ抜ける、清洲橋。リベット打の美しい橋だ。バイクで通りかかった。

 

東京都心にも、こんな静かなところがある。

河原に降りて川面を見る。鼻水がたれそうになって洟を拭うが、冬の日野こういう午後もそんなに悪くないと思った。

 

上田正樹の「悲しい色やね」に、「川はいくつもこの街流れ、恋や夢のかけら、みんな海に流してく」っていう歌詞があるけれど、東京という街にも川はいくつも流れ、恋や夢のかけらを海に流していく。

この街を去った、いくつもの幻想にまだ心を刺されながら、山口百恵さんの「いい日旅立ち」を口ずさんで、バイクに戻って、冬の午後の風を楽しんだ。

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2012年

11月

14日

Apertureを購入した。とりあえず使ってみる。

私の手元には膨大なモノクロネガがある。

学生の頃から趣味で写真を撮っているのだけれど、そのネガがフィルム数千本分ある。学生の頃は一年で千本はとっていたので、その頃のネガだけでも段ボール箱数箱分ある。今見てみると下らない写真だらけである。

 

当時は、自分もイッチョマエの写真作家であると大それたことを思いながら写真を撮っていたから、結果として膨大な量の下らないネガだけが残った。もう二度と引っぱり出すことは無いかもしれないが、学生時代の数少ない幸せな記録である。だから捨てないでとっておいてある。

 

写真について、もうそんなにカッコつけたこと言わなくて良くなったので正直に言うけれど、私は写真は純粋に記録という側面を持っていることがとっても好きだし、何度も反芻できるところが好きだ。

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2012年

11月

11日

MacBook壊れる。MacBook Pro購入。全く同じパソコンを使ってるみたい!!

ブログの更新を一ヶ月以上サボってしまっているので、前回更新した時から随分世間は変ってしまっているんですが、私の周りは変りません。

仕事はそこそこ順調で、生活に困る程ではありませんが、だからといって蓄えも無く、妻に言わせれば家の家計は火の車らしいのですが、まあ私自身何か我慢しているかというと、特に我慢はしていないので、本当は良くないのでしょうけれど。

 

それで、その他も特に前回更新した時と変りません、ギターが上達したわけでもなく、トランペットの練習はもう一ヶ月以上サボったままで。珠ちゃんのライブは今でも聴きにいっております。珠ちゃんは相変わらずとびきり可愛いのです。しかし、11月はライブをされないとのことで、残念です。

 

そんな私の身の回りで、変ったことが一つありました。

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2012年

10月

15日

青春再訪。なかなか上達しない楽器の練習

随分ブログをサボってしまっているが、その間私には何の進展もありません。仕事も、プライベートもあんまり変らず、週末の過ごし方も変わらず。

 

しかしながら、世間というのは常に変化しているわけで、それにどうにかついていくのはなかなか大変なことです。まあ、そもそも時代についていこうと思った時点で既に時代遅れで、時代の流れを感じない状態が、やっと時代についていけている証拠なのでしょうが。そういう面倒なことは二十歳の頃は気にしましたが、今じゃもう気になりません。

 

今夜は音楽の話をしましょう。お時間あればお付き合いください。

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2012年

8月

29日

Saul Leiterは地味だけど写真は洗練されてる。

ブログを一ヶ月以上サボってしまった。

もう、二度と更新しないかと思われたかもしれませんが、私ももう二度と更新できないのではと思いました。誠にすみません。最近は楽器の練習を再開したのですが、そのため夜の時間の大半は楽器の練習に費やしているので、ブログまで手がまわらなかったのです。

 

もう一つ、このブログという誰に対して発信しているのかわからないメディアを使っていて、一種の寂しさ、孤独を感じており、何となくブログからはなれてしまったのです。

 

でも、今夜は写真の話題があるので、書きます。

お時間許せばお付き合いください。

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2012年

7月

23日

胸は張れないけれど大型二輪免許の検定に合格。

以前にも書いたけれど、私はトライアンフに跨がれるようになるのがさしあたっての夢である。

 

1年程前に中型2輪の免許を取得し、妻にスティードを買ってもらって乗り回しているが、なんというか、クルーザー乗りとしてはやっぱり将来はハーレーを乗り回したい。何と短絡的なことかとあきれてしまうけれど、やっぱりナックルヘッドとかをレストアして乗り回すのはバイク乗りの一つの理想型である。

 

スティードはとても乗りやすいし、とり回しやすい割に結構スピードも出てくれるので重宝しているけれど、やっぱりいつかはスティードを卒業して、大きなやつに乗りたい。かといって、いきなりハーレーに乗るのはちょっと気が引ける。ハーレーのナックルヘッドやショベルヘッドはやっぱりいつまでも憧れでとっておきたいし、実際値段も高いのでおいそれとは手が出ないし、メンテナンスもなんぼかかるもんかもわからない。

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2012年

7月

12日

Red Garlandはお好き?

最近トランペットを約5年ぶり、いやもっとかな、5・6年ぶりに練習してるんだけれど、なかなか上達しないもので、まあそれでも、日に日に少しずつ上達するのは気分の良いものです。

 

おまけに、チェットベーカーとお揃いのトランペットも新調しちゃって、ますますトランペット熱が再燃します。

 

楽器の練習は何より上手い人のコピーが基本なんだけれど、ジャズのトランぺッターはなかなか上手い人ばかりなので、ちっともコピーできなかったりして、ハードルが高いです。それでも、マイルスデイヴィスなんかは、シンプルでよくまとまったソロを弾くので、コピーさせてもらってます。マイルスのアルバム買ってきてはコピーしてます。

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2012年

7月

09日

Chetとお揃いのトランペット

楽器にはあまりこだわらない方が、楽器の上達のためには良いと思う。けれども、トランぺッターは3人集まれば必ず楽器の話、マウスピースの話で盛上がってしまったりする。

 

トランぺッター同士の話題っていつも楽器の話ばかりだと思う。けれども、あんまり楽器にこだわらない方が楽器の上達にはいい。

 

今日、アメリカから一台のトランペットが届いた。虫だらけの汚いケースに入って、約50年前のスチューデントモデルのトッランペットが届いた。

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2012年

7月

02日

Here's that rainy day から始まったセッション

先日YouTubeでDoc Severinsenの映像を見た。

 

Doc Severinsenというトランぺッターをご存知でしょうか。ベニーグッドマンのバンドで弾いてたこともあったそうですが、日本ではあんまり有名じゃありませんね。凄く良いトランぺッターなのに。

 

一方アメリカではそこそこ有名みたいです。ジョニーカーソンがやってた頃のTonight Showのハウスバンドのリーダーを何と25年間も勤めてたそうです。だから、テレビに毎日出演していたようです。タモリさんもトランぺッターですが、タモリさんと並んでテレビに露出の多かったトランぺッターと言えるかもしれません。

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2012年

6月

21日

Jazz界の村西とおる、クリードテイラー

CTIというレコードレーベルをご存知なのは、一部のジャズファンだけでしょうけれど、もしご存知でも、「CTI好き」と言える方は少ないのではないでしょうか。「一緒に入ってるストリングスが嫌だ」とか、「ジャズミュージシャンに無理矢理フュージョンやらせてるから嫌い」と思われている人が多いのではないでしょうか。

 

なんでよりによってCTIはこんな企画もの作っちゃったんだよ、とか、ウエスモンゴメリーをジャズから遠ざけた元凶とか、あのレーベルのレコードはなんだか嫌われる風潮にあります。

 

でも、僕は好きです。CTIは駄作も多いですが、それを我慢して付き合えばとても素晴らしいレコードに出会えます。とは言っても、私の手元にCTIのレコードは殆ど無いですが、5枚持っていてそのうち2枚は名盤です。

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2012年

6月

19日

フレディーハバードというカッコイイトランぺッターがいたこと

Freddie Hubbardというトランぺッターをご存知だろうか。ジャズを聴く方ならたいてい彼の名前ぐらいはきいたことがあると思います。60年代70年代のジャズを好きな方なら、おそらく手元にフレディーがトランペットで参加しているアルバムの一枚や二枚はあるでしょう。

 

私が社会人になって、ジャズからずっと離れていた間に、フレディーハバードは亡くなってしまってました。一度で良いから生でフレディーの演奏を聴きたかった。彼の刻む八分音符や16分音符は神業とも言えるくらいカッコいい。そのフレディーのトランペットがもう聴けなくなってしまうなんて。

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2012年

6月

18日

俺ゃー、急いでレコード屋に行ってマイルスのアルバム買っちゃったよ。

人間生きていると嫌なことはあるけど、良いこともあるもんです。

今週末は日曜日二日酔いで一日中寝てたけど、良い週末だったな。色んな新しい人たちに会えたり、妻の友人の誕生日パーティーに参加したり。大型二輪の教習を二日酔いで寝とばしたり。

 

一番よかったのは、久しぶりにエネルギッシュで楽しいライブを聴きにいけたことですかね。

 

私はもう何年もライブなんて自分から進んで見に行かなかったんだけれど、2週間程前に気まぐれに学校の頃の先輩のライブ見に行きました。それが案外良かったんですよ。夢中に音楽やっているんだけど、自分たちがどんな方向に向かっているのかわかっているようで、かつその方向性が定まりきっていないっていう良いバランスで面白い音楽。こういうライブならまた見に行っても良いなって思いました。

 

それで、そのライブで知り合った方々が出演するジャズのお祭りみたいのが一昨日ありまして、見に行ってきました。

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